河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

令和初の梅雨入りか

 平成最後とか令和初とかが流行っていますが、梅雨入りまでは…使わないのでしょうか。そんな空模様の本日でしたが、懸案となっていました小径自転車トレンクルを修理に出してきました。河内長野市内の工房ですので、持参ついでに古市古墳群の見残しをしっかり見てきました。
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 応神天皇陵古墳の陪塚(方墳)といいますが、対応するような名の東馬塚古墳(同)と比べて応神陵とは離れすぎているような位置です。これも、周囲は民家でおおわれていますので、過日は通り過ごしたようです。
 はざみ山古墳。
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 これは普段自動車でよく通る道脇にありました。前方後円墳で応神陵の東にありますが、陪塚では無いようです。公道に接していないので、水路敷を入って写真を撮りました。
 はざみ山古墳にだけでは無く、古墳の多くは水路としても機能しています。応神陵も石川水系から水を引いていて、御陵の堀を満たしオーバーフローした水は付近の田や畑を潤しています。
 東山古墳。
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 最後は応神天皇陵古墳の陪塚東山古墳(方墳)。これが一番難解でした。現状としては、レストランと病院の駐車場用地の端にある木立林をよく見ると古墳でした。写真はその現況を少々強調した絵作りになっていますが、概ねこんな状態です。
 羽曳野市作成の広報・案内看板。
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 以上で、世界遺産に登録される古市古墳群を全て巡ったことになります。多少の土地勘があっても、ウッカリ見過ごした古墳もありました。
 本日も地図を片手に古墳巡りする方を見かけましたが、多少難儀されている様子でした。一つの問題点としては、古市古墳群の場合は行政界上に古墳群があって、それぞれの考え方で地図等が作られていること。この際、藤井寺羽曳野市が意見交換し協議会でも作り一つの纏まりとして訪問者への対応を目差すことが肝要かなと思いました。

 令和初
 世界遺産で 一つにナーレ 歴史の道 <偐山頭火

 <追記>
 西名阪高速高架下の古墳で名前が分からなかった方墳の名称が判明しました。これは、世界遺産登録古墳では無いので、紹介していませんでしたがこの際紹介したいと思います。古墳保存のあり方、方法に一斉を投じるものです。
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 場所は応神天皇陵古墳の北、東西に走る西名阪高速の高架道下り線下で側道が少しはみ出ているようにある古墳です。名称は赤面山古墳と云いますが、今はその表示が無くなっています。古墳の長さに合わせてロングスパンの板床と厚みに工夫がなされています。皆さんのご意見を。