河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

パソコン引き取り序でと云えば罰が当たるか 墓参他

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 パソコンの引き取りの前に済ませたいことがありました。年末をひかえて今年一度もお参りしていなかったご先祖様達が眠るお墓参りです。羽曳野市誉田と云う字名からもお分かり頂けるかと思いますが「ホムタノワケ」所謂応神天皇の諡を字名に持つ場所が私の母方の出身地です。ガキの頃から応神天皇陵は裏の山、と云う感覚で薪を刈る、蕨を採るそして池では蓮の花を採ると云うことが日常的に行われていました。一応柵は昔からあったのですが住民と宮内庁との暗黙の了解、宮内庁としても下草刈りの手間が省ける良い意味でのなれ合いでしょうか。

 古墳に隣接して地所もありましたが、遠い昔手放しました。今回気になってその古墳との境界を見てきましたが、のこぎりの刃のような状態です。これで、世界遺産登録ということが出来るのかと少々疑問にも。堺の「仁徳天皇陵」も隣にホテルが建つなど、境界については民地側の無理が生じているところが目立ちます。大和や備前へ行けば墳墓ぎりぎまで削り取られて耕作されています、その状態で開発でも入れば斯様な結果になるのでしょう。もちろん民地側にも言い分はあります。なにせ、元地主でしたから権利書もありました。

 さて、応神陵と隣接するのが「誉田八幡宮」です。ここは何度もご紹介していますので、詳しくは省きますが御陵との境界の曖昧さと云えばここで頂点でしょう、そこは天皇と神さんの近隣関係だけに特に曖昧です。御陵へ渡る石の太鼓橋(放生橋)があって、9月15日の秋の大祭では氏子達は正々堂々と御輿を担ぎここを渡り御陵へ入ります。宮内庁の許可は我知らずです。親戚に云わせると法被を着用していたら渡れます「兄さんも往かれますか」と問われるが、いまだこの様な形で正式に(?)足を踏み入れたことはありません。

 さて、お墓参りと八幡さん詣でをした後は高野街道脇の高田種苗で苗を買いましょう。余談ですが、四天王寺参道の赤松種苗さんが業態を変換された以後は、種屋と云えるお店は私の知る限りではここだけになりました。白ネギとスナップエンドウの苗を買います。店番の親父に葱はどう収穫するかと問うと「適当に切って食べていたら、また成長してきます」と、なら「永遠に喰えますな・・・」、「いつまでもはあきまへん・・・」とたわいない会話を交わして暇です。

 写真:応神陵でも紅葉を、フェンスの向こうが応神陵(恵我藻伏崗陵)、放生橋、八幡宮、高田種苗と葱など

 昭和
 陵も 昭和も遠く なりにけり <餓鬼山頭火