河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

近江彦根「若草読書会でかんぽの宿彦根へ」

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 彦根かんぽの宿に泊まり、夜は読書会と称する交わりで一時を楽しんできました。かんぽの宿は、先日再売却の方針が発表されたばかりで、少々火事場見物気分で参らせてもらいましたが、ここ彦根では職員の皆様きびきびとした動きと「おもてなし」の感情がこもったご接待にあずかりました。かんぽの宿彦根は残留できるのでは・・・と思います。

 インターを降りて暫くしたらお城が見えてきます。明治維新の折には破壊寸前だったという彦根城ですが、大隈重信天皇への一言で救われたという。朝敵の城ですから、廃城されても仕方が無いと言えば仕方が無いのですが、よく救われたものです。もしも城が廃城されていたら、県庁所在地になっていたかもしれない彦根です。どちらが良かったのか・・・ですな。

 その城を左に見て少し走ると湖岸が出ます。彦根港ですね、そこら辺りを右に回ると300m程でかんぽの宿が見えてきます。午後1時に智麻呂さんをピックアップして、第二京阪京滋バイパスそして名神と120キロほどひた走り到着です。車にお乗せするのも、お下ろしするのも大変な作業です。

 でも、ホテルについて皆さんと交わっているお顔を拝見していますと、お連れして良かった・・・と思います。夜は偐家持氏による琵琶湖に纏わる万葉集のお勉強、近江路の 鳥籠の山なる 不知哉川 日のこの頃は 恋ひつもあらむ(万葉集4-487)(大意:近江の周辺の山や川の様に、さあどうらろうここしばらくは謡って恋いつつもすごうそうか)等々、夜の更けるのも楽しみなんだ後は、各自持ち寄りの俳句や短歌の添削会。

 愚作:雨音か 下駄の音とか 石畳  も
    雨音か 下駄の音かや 秋時雨 と見事に俳句に変身しました。

 と、夜のしらける頃まで、わいわい楽しみました。が、翌日は又も偐山頭火、智麻呂そして恒郎女の三人となり、佐川美術館を見学に訪れましたが、車の乗り降りなどに智麻呂氏に大変御負担をかけたようでありました。斯様な、旅行プランはこの後はしっかりとしたサポート体制を組まないと、再行は不可能かと反省もした旅行でありました。誰かが何とかしてくれるという甘い考えはダメでした。(解説:智麻呂氏は重度障害者で、車の乗り降りに健常な大人二人の介助が必要です)

 写真:最上階のお風呂、空中風呂からの眺め(台風禍の流木が残念で)

 かんぽの宿彦根にて
 人を助け かまうるつもりが 腰砕け  <腰砕け山頭火