河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

奥の横道一筆書きの旅「会津若松 鶴ヶ城ほか」

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 会津若松は、会津藩の居城鶴ヶ城がある町です。近年の「八重の桜」で有名になった、新島襄の妻八重と兄山本覚馬が幕末に生まれた場所。そして、逆賊となった会津藩全滅の舞台でもあります。これらのドラマの伏線にあるのは、会津藩と徳川家の関係に注目する必要があります。が、子細はここに

 他藩に比べて非常に徳川への忠誠が強かったと云うことが、鶴ヶ城の悲劇となったようです。また、実戦経験の少ない国元の会津藩士は、白虎隊にしても鶴ヶ城に火の手が上がったことで、落城と勘違いして自刃しているという。また、籠城戦という選択肢を見誤った結果、家人などを城内へ入れることを怠ったため、家老西郷頼母一家の自害もあったという。(伊東潤著「城を攻める 城を守る」より)

 歴史を後の検証から見ると、何故と云うことが多くあろうが、時の人は精一杯生きた証でもあり、簡単に責めることはできない。そんな思いを巡らしながら、城内や城下を散策していました。

 冒頭の八重の桜で有名になった山本覚馬の住んでいたという一角にも出会わした。今は民家が建ち並び、観光客への配慮を求める看板だけがその資料というのも皮肉なものであります。また、山鹿流武術の創始者山鹿素行誕生の地にも。赤穂浪士の討ち入り太鼓「一打ち参流れ」のあれです。

 宿は東山温泉「新滝」という高級旅館(かんぽの宿と比しての話)で、松平の殿様が入浴なさった岩風呂にも入れていただいた。与謝野晶子が遊んだという老舗旅館は、旅の中安めとしては最高だった。花泉という地酒と共に深い眠りとなった会津であります。

 写真:鶴ヶ城一角、同志社設置の看板、山鹿素行誕生の地、松平家のお風呂、与謝野晶子来訪の看板

 鶴ヶ城にて
 京を守り 居城にて散る 会津魂   <偐山頭火