河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

大和葛城「幻の新政府と幻の五新線の五條市を行く 仕上げは金剛乃湯」

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 幕末の1863年(文久3年)尊王攘夷派が、時の孝明天皇の大和行幸の詔を出させる事に成功。これを機に、倒幕急進派の吉村虎太郎、藤本鉄石、松本奎堂らを中心にして脱藩浪士達が天誅組を結成した。公卿山中忠光を盟主として、幕府の五条代官所を急襲し、近くの櫻井寺を本陣として倒幕の旗を揚げました。

 しかし、朝議は一変して大和行幸は中止となります。天誅組は、十津川郷士約千名と共に、高取城を攻略しようとしたが撃退され、殆どが討死又は自死した。40日間ほど下級武士と豪農豪商が一体となった、倒幕挙兵の先駆けとなった。その、天誅組が急襲した代官所跡が復元されて、展示資料館となっている。その数十メートル北には櫻井寺がある。もっとも、実際の代官所跡は五條市役所らしい。

 天誅組の史跡辺りからコンクリートの橋梁が、国道を跨ぐ。これが五新線の名残であります。鉄道計画が頓挫するのはよくあるが、実際に建設が始まって中折れするケースは、余り知られていない。全国くまなく見ればあるのだろうが、これほど見事に中断しているケースは未だ聞き及ばない。バス専用路線になったり、辻褄合わせをしているが、「無駄金」には違いない。何か新規事業をする自治体等は、ここを訪れて深く検証するのも良いのでは。

 この高架橋が貫くのが、新町筋と呼ばれるレトロな町並み。造り酒屋、タバコ屋、喫茶店などが古い設えのまま町並みを形成している。地元の名産柿のワインも売っていたが、試飲は果たせなかった。町並みを抜けると、大塔村、十津川を貫き新宮に至る国道168号に出る。出口にあるのが栗山家住宅。棟札に1607年(慶長12年)とあり、建築時が判明する商家としては日本最古とか。

 更にMTB吉野川を渡り、平重盛創建の金剛寺などを見学して、流域を一周し神社仏閣を見学して後に、吉野川沿いに立地する「リバーサイドホテル」の金剛の湯で旅の汗を流す。ナトリウム泉で肌あたりが良い、最後のシャワーは丹念にしないと、ベタつくと思われるほどだった。

 写真:五条代官所跡(復元)、櫻井寺と本陣跡の碑、街中の五新線と説明、新町筋の町屋、栗山家、金剛乃湯

 天誅組
 天狗党 天誅組が 幕開く