河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

大和川と石川の吊り橋を行く

と、タイトルは気取っていますが、要は所用で玉手山へ行ったと云うお話しです。
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 1級河川の大和川に吊り橋があります。それも大阪府内にあると云えば、まさかと云う方も多いでしょうが正真正銘の吊り橋です。ただし人道橋です、いわゆる古風な吊り橋です。その吊り橋と石川の吊り橋を巡ってきました。
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 一本目の吊り橋、石川に架かる玉手橋を渡って玉手の旧村域に入り玉手山丘陵のピークを目指して進みます。奥に山門が見えてきました。この山門のお寺が本日の目的でもあります「安福寺」です。大坂の陣の後、尾州徳川光友候の手厚い庇護のもと菩提寺として、また大坂の陣に散った武士や庶民の御霊を弔ってきました。
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 安福寺の鐘楼と四の門等が昨年の台風で被害を受けました。その修復工事が順調に進み今月末に落慶法要が催されるとお聞きしましたが、その当日都合が悪く事前に様子伺いというのが目的でした。お寺さんでは、昨日までの彼岸の供養等でお忙しかったと思いお声がけせずです。作業中の屋根職人の頭にお聞きすると、工事は順調に進んでいるとか、何よりも結構なことです。
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 本堂に覆い被さるような木立も、今回同時に間引きされたのか光も沢山入るようになって見やすくなりました。しかしこれから、長い年月を重ねて茂ってくるという自然の演出が楽しみですが、私の短い一生ではこれを味わうのは無理なことでしょう。なにせ、梵鐘の屋根瓦にしても今回の工事で古い鬼瓦に1684年の記があったと云うことは330年前で、この鬼瓦を志納した人が今回この現実を見ることがなかったように。新顔の鬼が乗っていますね。
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 吊り橋に戻りましょう。玉手山をバイクで越えるのは少々シンドイので、国道をつかって国分の中心部から大和川の左岸の旧街道を進みます。国分神社が見えて来ました。神社背後の松岳山古墳からは、船氏王後の墓誌が出土しています。国宝指定で三井家が所蔵、東京国博にあるそうですが未見です。先を急ぎますので、神社や古墳は次回と云うことで休息のみ。
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 国道25号に出て、200mも東に走ると里道があります。気をつけないと通過してしまいそうです。これを左に曲がると「夏目茶屋」という標識の奥に吊り橋があります。夏目茶屋の渡しがあったそうで、その代替がこの吊り橋でしょう。先日立ち寄った十津川村の谷瀨の吊り橋と比べますと比ではありませんが、高所恐怖症の私としては決死の覚悟でバイクで渡りましょう。
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 大きく湾曲した大和川を渡った右岸には運動広場があります。かつてこの辺りは「竹原井行宮」跡として発掘されたことがありましたが、今はその痕跡は運動広場のプレート以外に何も有りません。(行宮=天皇行幸の際に宿泊した仮の宮、天皇が代わると使われなくなった場合が多い)平城宮難波宮や和泉宮との往還途中の宿泊に利用されたと「続日本紀」には書かれているそうです。
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 これで表題のテーマの道行きは終了です。石川の吊り橋は、道明寺天満宮から玉手山遊園地への夢の吊橋でした。そして徳川の時代を築いたと云っても過言で無い大坂の陣というタイムトンネルを通り抜けた先にあったのは、飛鳥時代天皇の定宿と云える行宮への吊り橋でした。こじつけの様ですが、それだけ歴史が凝縮された地域でならではの道行きでした。

 瓦
 300年 眠り続けて 鬼瓦 <偐梵鐘瓦>