河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

奥琵琶湖「菅浦から海津大崎湖里庵まで」

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 奥琵琶湖パークウエイが開通するまでは、正式な陸路が無かった菅浦地区だ、今も百数の戸数しか住んでおらず、長男以外は地区を出て生活するというのが、仕来りとか。住戸面積、田畑等から推定される判断でしょう。加えて、恵美押勝の乱がきっかけとなり、廃帝となった淳仁天皇が隠棲したという伝説も生きている、歴史に閉ざされた風景が目の前に開ける。

 話は今世紀に戻るが、我が寅さんも第47作「拝啓車寅次郎様」で、マドンナかたせ梨乃と菅浦を散策する。山田組のロケ班と隊長五十嵐さんの大手柄でしょう。そんな風景が今も残る地区内を散策していると、現実と歴史とが微妙に入り混ざったタイムスリップしたような錯覚にはまる。昔は、集落の四隅にあったという一番奥の「四足門」迄行き引き返すと、集落の入口でその一つが修復されている現場に出会わした。こんなシーンは願っても観られ無いだろう。

 ここから、海津大崎を過ぎてマキノに出る。何度もお世話になっている湖里庵経営元の「魚治」のある集落です。数軒隣には「吉田酒蔵」という造り酒屋があり、食卓にも吟醸酒が出た。水を大切にする、漁師さんと杜氏さんのコラボレーションが始まります。

 前菜は数品、勿論それぞれにほぼ「鮒寿し」が細工されて入っている。前菜のゴリの山椒煮が絶品。季節柄「土瓶蒸し」や「肝吸い」も胃の腑に暖かい。また、鮒寿しのテンプラやチーズ巻も目新しい。御酒が進む。時に女将さんが訪れては、土地のお話し、食材のお話しときめ細やかな親切が嬉しい。
 家に帰るという愚妻を駅に降ろして、私は今宵の宿へ向かう車では夢見心地でした。

 写真:遠くに菅浦地区が、須賀神社、拝殿は素足で、民家の隙間を行く、私はMTBで、行き止まり、奥の四足門、門の構造、この辺りで寅が出会うのか、手前の四足門説明、修理中、修理中表示板、湖里庵座敷より海津大崎、前菜、御酒、テンプラ、土瓶蒸し、肝吸い、小鮎は欠かせません

 菅浦にて
 淡路から 泡を乗り切り 淡海の 菅浦で生く 淳仁天皇  <偐淳仁

 湖里庵
 ニゴロ鮒 二冬かけて 寿しとなる  <偐発酵学者>