河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

旅の続き「菅浦から余呉そして近江八幡まで」

 奥琵琶の朝は清々しい。前方後円墳に見えると白洲正子が云う「竹生島」を取り囲む、海津大崎の桜のトンネルをくぐり抜けると菅浦集落につく。絶海では無く絶湖の集落だ。千年に亘って封印されてきた菅浦文庫や淳仁天皇隠棲の伝説が今も生きている。
イメージ 1

 竹生島前方後円墳にも見える

 菅浦集落の入口付近で集落全体を拝見。数年ぶりに来たが、何一つ変わっていません。西の四足門が修復されたようだ。
イメージ 2

 寅さんも第47作「拝啓車寅次郎様」で、撮影旅行をしている主婦典子(かたせ梨乃)とこの町で出会った。
イメージ 3

 西の四足門。

イメージ 4

 賎ヶ岳を迂回すると余呉湖畔に出る。

イメージ 5

 天女伝説の柳の向こうに見えるのが古戦場。

イメージ 6

 北国街道の宿場、木之本宿。

イメージ 7

 戦国乱世を制したのは、国友の火縄銃。種子島に伝来時は一丁2億円もしたとか。信長の庇護のもとここ国友では大量生産された。

イメージ 8

 国友らしい溝蓋です。

イメージ 9

 近江八幡では、雛人形展が町の至る所で開催されていました。我が家は近江牛の方に関心が向かっていたようです。

 以上で今回の旅の報告は終了です。天女の伝説から、淳仁天皇そして戦国武将と多くの人々がこの湖の周りを駆け巡った。現在の愚僧も早足で歩きました。途中、湖畔の名も無きお寺での触れ合いなど、言葉では言い尽くせない沢山の出会いもあった旅でありました。

 鎖された 声が響くか 山と湖に <偐山頭火