河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

九州修行の旅「坊津から吹上みどり荘まで」

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 翌十日早朝志布志港行に入港した。鹿児島まで熟睡して行けるというのは非常に有り難い。時を金で買うと云うが、非常に安い買い物でした。さあ、目指すは坊津です。根占-山川、桜島を渡るフェリーもあるが、陸路を高速で鹿児島市内を迂回するルートで目指します。指宿スカイラインでは、桜島にも御挨拶程度拝見する。
 
 川辺ICでスカイラインをおりて、坊津を目指しますが途中「清水磨崖仏」に立ち寄る。万之瀬川沿いに高さ20メートル、幅400メートルにわたって刻まれた約200基の清水磨崖仏群は、修景にも配慮された小公園になっていて多くはないが立ち寄る人が絶えない。行く先の坊津への期待が膨らむ。

 枕崎市の西をかすめるように通過して、いよいよ坊津に近づくと景色感が違ってくる。ここから先は異国なんだと感じさせられる、リアス式の断崖が続きます。国道226号でトンネルを抜けたすぐの交差点を左折すると坊津の中心(非常に南北に長い地ゆえ、どこが中心とも言い難いが)。細い道をクネクネ行くと地元の方が、「密貿易の家か?」と問うてくる。ナンバーを見たらしい、そうだと云うと、指さす方向に「密貿易屋敷跡(浜倉荘)」が。

 大阪のどこだ、河内です。河内にはうまいワインがある、欧州にも引けを取らないと云う。遠洋漁業か航海ででも稼いでいたのだろうか。次回は坊津で泊まれよ、うまい魚がある。小生も「ワイン持参します」と応えた。地元の資料館「輝津館」では、地元の歴史特に仏教関係が豊富です。仏教の「坊」と遣唐使船や遠洋漁業等の「津」が重なって「坊津」と云う地名になったと、郷土歴史家森高木さんは著書「坊津 遣唐使の町から」で記されています。

 続いて「鑑真和上」が苦難の果てに日本上陸を果たした「秋目津」海岸。この地には、遙か唐を眺める和尚が正座されている。脇には資料館もある。井上靖の小説や小学校の歴史の時間でもお馴染みの、和尚が日本上陸を果たした場所と、奈良の唐招提寺がにわかに結びつく距離でない感動を覚える。その近くには007の映画ロケがあったと石碑が建つがそんなものどうでも云い。

 この半島の山道をショートカットして吹上浜、そして吹上温泉みどり荘」へ向かうわけですが。ちょっとした遣唐使並みに苦労した道でありました。枕崎まで戻るべきであったようですが、狭くて樹海の様な道に潜り込んだ以上前進あるのみであります。みどり荘は三回目、スタンプ帳に印が貯まるたびに「「近代化」されているようで、昔が懐かしい・・・と言うと老境か。温泉は少しも変わっていないのがうれしい。

 写真:桜島遠望、清水磨崖仏群3題、坊津への入り口、入唐道(につとうどう)ルート図(「坊津」より)、密貿易屋敷跡2題、石のアーチ橋、輝津館から見た双剣石等の名勝、鑑真和上2題、007も参加、みどり荘玄関、みどり池と紅葉、露天風呂はいつまでも変わらない

 入唐道
 中麿が 憶良真備も 坊津から  <偐山頭火