筆者の拙い編集故に、掲載しきれる写真に限りがあるようでお伝えできなかった写真の内、あれこれをご紹介します。
フェリーで上陸したのが「志布志」という鹿児島でしたが、大相撲九州場所の幟がはためいていました。この力士勝ち越したんでしょうか。鑑真が上陸した坊津では、唐招提寺の鑑真と座る向きが逆と云いましたが、横から見ると唐へ帰るようにも見えます。
構図で気に入ったのが、清水磨崖仏での私の牛車とのショット。あまり気に入らないのが、何処かの宿舎で「部屋番号」で食事したこと。食べ物ついででは、道の駅で食べた「牛蒡テンプラそば」。あまり大きくて牛蒡のみ完食しました、そばまでは手が出ません。
大宰府と太宰府の違いは、奈良政庁の九州支社を「大宰府」と云い、現在の市や駅名は「太宰府」と呼ぶそうです。大宰府長官は大宰師(だいのそち)で大伴旅人。副官クラスが大宰権帥(だざいのごんのそち)で有名なのが菅原道真です。彼を祀る天満宮は「太宰府天満宮」です。大宰府には「我が岡にさを鹿来鳴く初萩の花妻どひに来鳴くさを鹿」という大伴旅人の歌碑がありました。
別府の明礬湯の湯の花(小屋)採集場所。温泉旅行を見送った人々への、土産だったんでしょうね。
構図
来たと行く 鑑真和尚 真逆なる <偐春目浦>
来たと行く 鑑真和尚 真逆なる <偐春目浦>