河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

藤原宮から吉野宮まで、呼子鳥の銀輪行

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 何のことやと文句も出そうな見出しです。奇を衒ったわけでは無く、単純に道中を辿るとそうなったと云うことで、その次第です。実は前日橿原市の元薬師寺周辺に植えてある、ホテイアオイを見物に行き帰路道中の温泉にでも入ろうと策して家を出ました。しかし、運転免許を持参していないことに気付き中断、昨日に出直しとなったもの。

 橿原周辺の銀輪行では、藤原京跡に車を置きます。ここには愛想の良いガードマンがいて、「五時までに帰って下さい」「ホテイアオイはまだ早いかな」そして「暑いよ気をつけて」等と適切なアドバイスも。本日もその愛想に見送られて出立ですが、脇で何か発掘をしている。最近の報道で、唐三彩の破片が出土したと賑やかだったので覗いてみる。しかし、覗いても勿論何を掘っているのかちんぷんカンプン。脱サラする前の仕事では、遺跡発掘の広報もしていたこともあり懐かしい。技師によっては特定の社とつるんで、紙面での評価を上げようと画策する者もいて、各社平等と云う広報の立場とよくバッティングしたものです。その発掘現場の向かいの醍醐池畔に何度か紹介しています犬養孝先生揮毫の万葉歌碑「春過ぎて夏来たるらし白たへの衣干したり天香具山」(持統天皇)があります。これが今回の「から」です。

 醍醐池を一周して藤原宮跡の西側を南に走りますと、程なく飛鳥川堤に。これを横切って畝傍山を目途に走ると、左に水田様の広がりを見ます。ここが元薬師寺とそれを取り巻くホテイアオイの群生です。これらは、畝傍小学校の二年生諸君のボランティア活動で定植されたものと表示があります。これも脱サラ前のお話しですが、部下に畝傍小学校の生徒を持つ者がいて、親も駆り出されると云っていました。時期としてはやや早く、満開とは行きません。しかし、場所によっては蓮と合体した風景も見られるのも、フライングの功名でしょうか。畝傍山ホテイアオイそして蓮と繋がると良い写真になるでしょうが、構図を考える根気が無く足は先へ進みます。

 遠目に畝傍山を見たのですから、この際神武天皇陵を見物していく事に。ここ暫く、神武天皇に関しての記事を書くことが多いのですが、何故か御陵には縁が無かったのを思い出しました。宮内庁の定番のような表札の奥、右にカーブした先に御陵があります。撒かれている小石に厚みがあって、トレンクルの小径では浮いてしまい難儀です。やっとの思いで辿り着くと、流石に元祖天皇と言うだけあって、鳥居も丁寧な作りの三重連です。先週拝見した桓武帝でも鳥居は一つでしたが、この差の根拠が知りたい所です。もっとも、皇紀2500年事業とかで近年ここが神武陵と定められたようで、その時に設計技師の手元が滑って装飾に力が入ったためかも知れませんね。

 さあ、ここから橿原市内のおふさ観音へとペダルを進めましょう。奈良のがっかり寺の一つと自分では思っています。同観音はガキの頃良く親爺に連れられて来た思い出があります。何か願をかけていたようで、その願いが叶ったかどうかは聞くまでに亡くなりましたので不明です。季節毎に花・・・と広告が良いのですが、皆鉢植えの花ばかりです。親爺と通った頃は、花も無ければ参拝者もまばらでしたがもう少し浄土に近い感があったように思えます。寺近くの餅を土産に購入です。さあ、これで今回の銀輪は終了です。藤原京跡のガードマンが「よく帰って来たね」と褒めてくれます。

 次なるミッションは昼食兼お風呂です。ナビで探すと「津風呂湖温泉」が近いと表示が出ます。これが失敗の元となるとは・・・。国道169号で壷坂寺を過ぎ大淀で左折吉野川沿いを遡り、左「津風呂湖」の表示通り進むが、遂に道は車幅と同じになるも温泉には辿り着かず。耕運機の転回場所と覚しき場所を見付けて、何回かハンドルを切り返して遂に方向転換に成功。暫くバックするとブルーシートに覆われた「津風呂湖温泉」の見過ごしていた表示を発見、どうやら廃業したようですね。しかし、これでギブアップは出来ません、更に検索すると「中荘温泉」がヒットするが念のため架電して営業を確認する。

 更に吉野川を遡ること数キロで河畔に「中荘温泉」の表示が出て来ました。吉野町老人福祉センター中荘温泉と云う施設で、町外の老人の入浴料は700円とか、因みに町内は200円です。少々高いと思ったが、温泉に入るとこれがすばらしい。多少赤みがかったのは吉野川沿いの温泉特有か、風呂桶の縁に堆積物がこびり付いています。同浴の地元民との問うとでも無い会話から、来月には耐震工事に入り3月にリニューアルするという。その時に備えて愛称を募集している、あなたも応募したらと進められるも、他所の者が出る幕では無く遠慮する。約一時間さっぱりした気分で暇をすると、入る時には見えなかった石碑が入口の先に見える。「瀧上乃 三船山従 秋津邊 来鳴度者 誰喚兒鳥」万葉集巻九―1713と刻まれた万葉歌碑です。「激しい流れの上流の三船山から秋津野(離宮であった吉野宮付近の地名)に来て鳴き渡るあの鳥は誰を呼ぶのか呼子鳥」と訳するそうだ。揮毫は又しても犬養孝先生でこれが「まで」と云うところで今回のオチ。温泉渡り鳥の寅はさらに河内目指してひとっ飛びします。

 写真:醍醐池畔の碑、発掘現場、香久山を遠望、ホテイアオイの群生二題、神武天皇陵二題、おふさ観音、津風呂湖温泉廃湯か、中荘温泉、温泉の万葉歌碑

 からまで
 万葉碑 見送られて 迎えられ <偐山頭火