河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

湯盛温泉から吉野行宮へ

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 脱サラ以前の元同僚D君に誘われて表題の東吉野の川上村にある「奥吉野 湯盛温泉」へ。同君の快気祝いを兼ねたというか、適当な理由を見付けて時間つぶしと言う方が正確でしょう。石川流域駒ヶ谷という場所で彼をピックアップ、竹之内街道を越えて山麓バイパスに入るのですから、数日前とほぼ同じ行程。聞けばD君も同日二上山登山していたというから、脱サラしっぱなしの暇人のすることは合い似ていますな。

 名柄で東に折れて下市を目指します。吉野川に出たら川をひたすら遡るだけで、川上村へ入ります。村役場、商工会や金融機関が等が立ち並ぶ官庁街の外れに目的のホテル「杉の湯」があります。大変モダンな建物で、案内してくれたD君曰わく「あまり趣味じゃないでしょうか・・・」と言うが、偶には尻が浮つくようなモダンな建物も良い。

 温泉は「湯盛」という源泉からと言うが詳しくは分かりません。内風呂の高野槙の肌触り、露天は吉野川とそれが作る渓谷美が何より。湯舟の中で最近の話題が弾みます。D君は元の会社の同窓会にも参加しているようで、懐かしい知人の近況におのずと関心が向きます。しかし、歳のせいですね良い話ばかりではありません。風邪っ気と早めに上がったD君、私は暫く温泉を楽しみましょう。ホテルは吉野川をせき止めた大滝ダムに面しており、ダム湖に沈んだ諸施設が、この地域に移転しているようだ。風呂上がりにその一つ、丹生川上神社上社へお参りすることにしましょう。

 社伝によりますと、天武天皇の御代白鳳四年(675)、「人の声聞こえざる深山吉野の丹生川上に我が宮柱を立てて敬(いつ)き祀らば天下のために甘雨を降らし霖雨を止めむ」という神宣により、御社殿が建立、奉祀されたという。また、時代が下がりますが 後醍醐天皇が吉野の行宮で「この里は 丹生の川上ほど近し 祈らば晴れよ 五月雨(さみだれ)の空」と詠んだと言う。神社の広報コピー「天空の社」に相応しい立地のお社、絵馬の元となったという供えられた白黒の駿馬が凛々しく立つ彼方には吉野の深山が連なります。

 吉野川を少し下ると「宮滝遺跡」があります。ここは近年の発掘で奈良時代前半(8世紀前半ごろ)の天皇クラスの大規模な掘っ立て柱建物跡が見つかり、行宮としての場所論争に終止符がうたれました。今夏訪れた「中荘温泉」にありました万葉歌碑の背景とこの宮滝遺跡が重なって見えて来ます。行宮があったという場所には石柱が一本と簡単な説明板があるのみ。

 写真:吉野川を見下ろす露天と高野槙の内湯、ホテル外観、丹生川上神社上社、宮滝遺跡石柱と説明、寅号も紅葉見物

 ダム効果壱
 ダムが出来 官庁街が 一列に  <これも行革>

 ダム効果弐
 ダムが出来 神様更に 天空に  <偐罰当>