河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

二度も首都となった五條市

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 今年のメインワークにしている感のある白洲正子、特に「かくれ里」という紀行文読破の仕上げにと紀ノ川沿いの上天野にある丹生都比売神社へと向かった。満足のいく旅でありましたが、内容が余り煮詰めていないので本日は帰路立ち寄った、五條市と金剛温泉をご紹介する。と、云っても15年5月に一度同じように紹介しているので、ほとんど焼き直しではありますがよければ一読を。

 五條市は、紀ノ川沿いにひらけた町で 南北朝時代の1348年に南朝の本拠地である吉野が陥落した際に、後村上天皇が賀名生(現在の五條市西吉野町)に入り、一時期南朝が置かれた。時代は下がって1600年に松倉重政関ヶ原の戦いの論功で領土を与えられ、大和五条藩が成立。その後天領となり代官所が置かれる。さらに維新直前の1863年天誅組が五條代官所を襲撃、代官鈴木正信(源内)を殺害し倒幕運動の烽火を上げたことでも知られる(天誅組の変)。天誅組の本陣は桜井寺(現在の五條市須恵、本陣交差点の近く)に置かれ、一時「五條仮政府」を名乗った。と、云うことで五條は二度日本の首都の様な立ち位置になった事がある。

 それだけに地政学的に重要な位置にあったと云うことだろう。また、背後に構えた肥沃な森林は膨大な富を生み出した。近年町並みが整備されている「新町筋」を歩いていると、町の懐の深さが感じ取られます。また、五新線の廃構跡にもその息吹が見えます。

 金剛乃湯温泉は町の南部紀ノ川沿いの「リバーサイドホテル」という井上陽水の楽曲に出てくる名前と同じホテルの付属施設。ホテル名とアンバランスなのも、また逆説的なバランスが取れている気もする。白濁した湯であるため、例の定説に反する多少採湯地点が深そうだが、この際それは無視する。平日の午後とあって、ほとんど入浴客はいないいわば貸切だ。先ほどの高野山中の神社周辺をトレンクルで駆け回った、筋肉の強場箕が散っていく気がする。

 写真:代官所跡、五新線二題、新町筋三題、金剛乃湯

 五條の町
 南北朝 天誅組と 駆け抜ける <偐山頭火