河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

湖東は薬草の里

イメージ 1

 湖東と云えば伊吹山に代表される薬草の里です。万葉集にも額田王が「あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る」と歌っています。これは、滋賀県の蒲生野にあった御料地で旧暦五月五日、端午に薬猟(くすりがり) が行われた際の事を歌った贈答歌です。 この薬猟というのは、標野(しめの)といって皇族しか入る事が許されない御料地で男たちは鹿を追いかけ女たちは、紫草(薬草)を採る一大イベントです。

 額田王大海人皇子(後の天武天皇)と結ばれ子供までもうけていました。しかし薬猟(宴会)の時点では、大海人皇子とは別れて天智天皇大海人皇子の兄)の後宮でした。大海人皇子との昔の関係をネタにして詠んだのでしょう。同席した大海人皇子も「紫草にほへる妹を憎くあらば人妻ゆえにわれ恋ひめやも」と歌を返しています。万葉人のおおらかな男女関係を現していると云われますが、宴席での戯れ歌と云うのが通説です。

 本題に入るまで多少大回りしました。細くは間違いや異論があるかも知れませんが、要は万葉の時代から滋賀の湖東は薬草を採取する場所、それも天皇一族が独占的に支配していた場所であるという説明であります。今回使用したのは湖東の己高庵売店で求めた写真の品です。何種類かの薬草が詰められていて、お湯に浸すと何とも云えない高貴な香りがします。

 炭酸系や塩系も良いですが、標野の薬草の香りも良いでしょう。しかし、万葉人が薬草湯に入って「良い湯だな 此処は湖東の 蒲生の湯 兄弟二人 競わせも良し」なんて歌ったとは伝わっていない。

 写真:薬草湯

 蒲生野湯
 良い湯だな 此処は湖東の 蒲生の湯 兄弟二人 競わせも良し
                                浴衣王(ゆかたのおおきみ)