河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

湖北の旅後編 23年梅雨 鶏足寺から余呉湖となぜか京へも

 己高庵に着いたのが雨時、雨とあめの間に須賀谷温泉小谷城を見学したことになる。この界隈は白洲正子に導きされて来たことがある度岸寺十一面観音、石道寺等々あるが明日鶏足寺を初めて訪れる予定につき早めの宿入りとしました。何度も来たこともあり従業員さんもよくご存じで、部屋の案内などは省略して洋室の鍵を受け取る。

 お湯は薬草湯 手前の湯が薬草

 温泉では無く薬草湯です。「あかねさす 紫野ゆき 標野(しめの)ゆき 野守は見ずや 君が袖ふる」と額田王が歌った、皇室最古の愛の三角関係以来と伝わる薬草温泉は何よりも人生と身体に優しい。夕食は最低コースで充分、年で食えなくなったことと子供仕掛けのような華美な言葉に操られなくなった、人生終末期の食い道楽は「食えたら良い」のようです。だが、美味い手の凝った料理が続く。久しぶりに御酒を頂く。七本槍という地酒です。
 己高庵 こだかみ茶はほうじ茶で美味いです

 朝食も一手間かけた品が並ぶが余り手が出かない。朝食と云えば、食パンとジュースに懲り固まっているのか融通が利かないのか。知人への薬草湯の元と丁稚羊羹を土産に、鶏足寺へ向かう。この界隈では一番名の売れた紅葉の名所です。しかし、獣道の様な道しか無いためシーズンは車は禁止で愚僧は近くまでも行った経験が無い。宿の女中さんに聞くと行けなくも無いと。近頃の住所地番地ですから、宅急便が進入できない所は無いというのが愚僧の長年の悪知恵としてあります。
 獣道だ こだかみ茶畑 ここだけなぜか道が広い

 散々迷ったあげく軽四専用のような道を発見、途中名産の「こだかみ茶」園の場所だけ少し広いドアを開けて証拠写真撮影。更に行くと飯福寺(鶏足寺)に着く。まるで洗車場の様な幅の道です。寺の門前まで来たが山門までの道のりも険しく長いので、来たと云うことにして完敗です。秋の紅葉シーズンになると行列が出来る道だか、新緑を紅葉に置き換えてみるとその気も理解できる。
 緑を紅に置き換えよう

 次は余呉湖へ
 余呉湖畔ではあじさい祭りが開催されていると、観光案内に。そこでおおよその場所を聞いてその辺りなら車は置けるね・・・軽四でしたら。とここ暫く軽四ならではの利便性も感じられる、その利便を今回も使わせて貰おう。我が家では「プールの場所」と云えば通じるが、大昔に国民宿舎があった場所近くにプールがあり、お盆過ぎに家族でよく行った。監視員をお八つで買収して愚息と愚女を見張って貰っていた辺りの湖畔にあじさい園が出来ている。
 読書会の頃に泊まった宿辺り

 余呉湖と云えば読書会の旅行部門も思い出す。三橋節子は病で左手一本で画業に励んだその三橋の所縁の宿であったと思う。その頃智麻呂襲名前のN川牧師は湖畔の星空に向かって、朗々とテノールを響かされていました。その智麻呂氏も病におかされ左手のみで絵をこなされていた。(余談)降ったりやんだりその間隙にあじさいを楽しむというのも良いものです。何せ、あじさいは気温や湿度で七変化するというのだから、余呉湖という大舞台で演じられる歌舞伎の早替わり(大袈裟)を見ているが如くです。
 余呉湖を後に

 通常我が家の旅行でしたらこれで幕です。しかし、今回は土井の志ば漬けと京御所南の「湯葉半」で乾燥湯葉を買って帰ろうという遠大な計画があります。
 土井の赤紫蘇ソフトクリームがうまい400円

 どこでもドアの志ば漬け編 たぶんそうだと思います

 志ば漬けはあまり賞味期間が長くないので、愚息と愚女の分だけ購入。我が夫婦はアイスクリームを頬張ると眼下の赤紫蘇畑にどこでもドアが見えるので、下の駐車場へ行ってみる。が、説明はなしこれで良いのでしょう。さあ、京都市内へ向かいます。

 湯葉半正面玄関 

 御池麩屋町で北へ右折するのですが、角に大きな高いビルが建っている。以前湯葉半の奥さんが「外人や東京の人がホテルを買いまくっている」と嘆いていたその通りだ。湯葉半の正面もマンション、隣は駐車場と相成っている。

 ご主人は浅野さんと云いますが、暫く前にNHKドキュメント拝見したときは表に出ず、バックから笑顔を見せるだけだった。あまりお元気で無いと感じました、様子をお聞きしたら「今は昼寝、90を越えたが元気でやっている」とのこと、散々祇園界隈で遊んでそんな歳で元気なら結構けっこうと愛想を。ちなみに奥様の歌舞伎通いはお聞きするのを忘れましたが、歌舞伎なら大阪までも来るという熱心なファンです。
 店は明日に向けて整理整頓

 乾燥湯葉、甘湯葉とも云いますが女将が量目を計っています。フライにして塩を振ると大変美味い。ビールがあれば良いのだが。

 

 紫野 湯で遊んで 戦国へ

     志ば漬けの色 黄金の湯葉色へ <湖国一周山頭火