湖東と北、そして三重への旅に、丁度それぞれの紅葉の時期と重なり美しい眺めと歴史そして美術に触れることが出来ました。今年の紅葉はと言うより近年の紅葉は「高揚」が無いような気がします。だらだらと何時がはじまりか終わりかはっきりとしない。紅葉にきちんとケジメをつけろというのも可笑しいが、近年は区切りが見えてこない紅葉が多いように感じます。朝のテレビ番組泣かせですね、関西なら滋賀からはじまり和歌山あたりで一週間の日程を組んで流していましたが。ここ数年はスポット物が多いような気がします。
紅葉にぼやいていても仕方がありません。また、今年はぼやきつつも奈良や南河内の紅葉を随分楽しませていただいた。仕上げは表題のとおり滋賀と三重です。滋賀は読書会の課題図書「南北朝」(林屋辰三郎著)の佐々木道誉の項で、彼が一時籠城した「柏原城」という城の名が出てくることで訪れる機会をうかがっていました。源平合戦の勇者佐々木高綱の子孫が信綱の時に分派して一派が京極(初代氏信)となり、後それを率いていたのが道誉(どうよ)であります。足利尊氏が鎌倉に背いても尊氏に従い、京都の喉仏と云える地にあって権勢を誇っていたという。複雑な歴史背景は本に譲り旅と紅葉に戻りましょう、当日先に訪れた「多賀大社」も道誉に縁があったといいます。以前白洲正子のかくれ里にからんで「湖東三十三面観音像巡り」でも書きましたが、古来より琵琶湖を取り巻く地域は地政学的に重要な場所でありました。世が変わり豊臣や徳川の世になっても多賀大社には写真の様に、はそれぞれの寄進が当然といった顔で並べられているのを見ると、その思いが強くなります。ここも紅葉の盛りでありました。
さて、柏原城は中山道柏原宿の北現在の「徳源院」(天台宗)という寺域を指しているようです。京極初代氏信が地頭「柏原弥三郎」の屋敷を与えられて清滝寺として菩提寺としたと言います。氏信以来歴代の京極家の墓が並び壮観です。また、丸亀城主京極高豊寄進の三重塔も紅葉に染まって見事です。道中の中山道柏原の宿は町並みが整然と整備され、作られたような感じがしない、素晴らしい宿場町を形成しています。手垢がつかないと云う点では同じような宿場「守山」や「醒井」に比べてより落ち着いた感じがします。観桜の時期にでも是非再訪してみたいと思いました。
初日はここまで、今宵は定宿となっている木之本「己高庵」で薬草湯につかり疲れをほぐそう。明日は近くの「石道寺(しゃくどうじ)」十一面観音拝顔から旅の続きを始めるとしましょう。