河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

歴史のドア

 どこでもドアの今様版として、奈良県斑鳩町の特殊ドアメーカー「斑鳩」が社屋上に設けた「なんでもドア」をご紹介。斑鳩町と言っても社屋横を流れる富雄川を挟んで安堵町との境に工場群があります。その工場群の一番南端にあるのが「斑鳩」という特殊ドアメーカーです。
 富雄川沿いから

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 斑鳩の町は法隆寺で象徴されるように仏教都市で、聖徳太子は上宮を設けて斑鳩に住まいしたと言われています。そこから飛鳥へ政務に通ったと言われ、その道は「太子道」と今に伝わります。富雄川を渡った安堵町には、その痕跡を今に伝える社寺仏閣が多く残されています。
 飽波神社(安堵町あわなみ)と十七条憲法推考中の太子達

f:id:gourmet_j:20200827133838j:plain    再び富雄川を渡って太子道から「斑鳩」社屋を見る

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 太子道標識

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 平成3年の発掘調査で聖徳太子の住まいされたとされる「上宮遺跡」が発掘されて場所が特定されました。整備した宮跡にはごっちゃ煮のように、石仏や歌碑が林立しています。その中から一つ在原業平ちはやふる・・・・」をご紹介。天理付近から斑鳩を通って高安の女の元へ通ったと言われていますので、「太子さんお茶でもイッパイよんで」と訪れても可笑しくはありません、が時代が会いませんね。
 業平歌碑

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   さて、太子道法隆寺方向へ進みましょう。往時は建物など何も無く矢田丘陵の麓に仏閣が並び、さながら見事な王朝文化が花開いていたことでしょう。大和川を往き来する外国からの使節団にも、大和政権の力を誇示していたのでしょう。
 法隆寺脇から太子道方向を望む

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 法隆寺脇にある鉄材加工工場が「何でもドア」との結節点と愚僧は睨んでいます。錺技研と書かれた工場は錺鋲の専門工場で、太鼓鋲・格子鋲・菊鋲・椅子鋲・亀甲鋲等を製造すると会社説明には書かれています。ここからは愚僧の推理ですが(直あたりすれば良いのですが)、聖徳太子法隆寺を建造する時に朝鮮半島から招いたとする「番匠集団」の中に、門扉や仏具等の金属部材を作る技術を受け継ぐ集団の一部がこの地に残り、それが今に生きている・・・のではないかと推論します。
 錺技研工場

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 法隆寺西の「藤ノ木古墳」から出土したは騎馬馬具は、金銅製が1具、鉄地金銅張りが2具の計3具出土しており、うち金銅製のものは古代東アジアの馬具の中でも最も豪華なものの一つであるといわれています。これらから推測してもかなりの金属加工技術者集団が当地に居たのでは無いでしょうか。太子道沿いの工場の屋上にある「どこでもドア」の会社では特殊ドア製作技術が高いという報道にも納得がいく気がする。
 藤ノ木古墳

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 では、歩きすぎたので休憩しましょう。法隆寺近くには高級喫茶店もありますが、本日はゆえあって「コメダ珈琲」とします。国道25号に出ると食事店や土産物に並んでコメダ珈琲があります。本日この店を選んだ理由は黒駒古墳に隣接しているから。黒駒古墳は聖徳太子の愛馬のお墓と伝わっています。
 黒駒古墳 喫茶店と現代人の愛車の駐車場

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 なぜか黒駒古墳がどこでもドアの役割をして、一千四百年前と現在との往き来出来る様な気持ちに。そして、太子と業平が飲んだであろうよく冷えた「飽波珈琲」を飲んでいると、ボーッと現代に戻ることが出来ました。
 なんでも(どこでも)ドアをアップで

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 時空こえ ピンクドアから 太子さん

      やわらぎを持て 礼を持てとや  <偐山頭火

 

注)なんでもドアは立て2メートル、幅1.1メートル。ワイヤーでしっかりと支えているようです。川沿いからだと距離があるので出来たら望遠レンズがあれば良し。

 

斑鳩町名等について(追記)

 1947年(昭和22年)2月11日 竜田町・法隆寺村・富郷村が合併して発足。三町合併時それぞれの自治体が新町名案を持って譲らなかったが、当時の法隆寺住職佐伯定胤の「斑鳩」と言うツルの一声で決着したという。
 新・法隆寺物語

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 このあたりを「いかるが」と呼び「斑鳩」と書き、日本書紀には「太子初めて宮室を飛鳥に興(た)てまう」とあります。「いかるが」は「斑鳩」とも書くが「鵤」とも書く。いかるがはムクドリに似た翼に白斑のある灰色の鳥といわれ、鳩の一種のジュズカケ鳩であるという説もある。「いかるがが群居していたのでそのながつけられた」と古書にある。(新・法隆寺物語、太田信隆著)

 聖徳太子の頃は「飛鳥時代」その後「白鳳時代」、以前を遡れば「白雉」「朱鳥」と鳥が関わる時代名が多い。焼き鳥屋チェーン店のようですな。(失礼)
 植村牧場牛舎

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 奈良と牛乳という意味で外してならないのが「植村牧場」。奈良市内唯一で30頭ほど飼育していて、宅配をいまだにかたくなに行われています。飼育には知的障害者が主役となって頑張っておられます。この牛舎がある辺り一面は元少年刑務所を含め元放牧場で、お寺や位の高い方へ栄養価の高い牛乳をおさめていたのでしょう。牧場へのリンクを張りましたので、今秋コスモス見物に、般若寺へ行かれる時は是非同時に行かれては。コスモスはがっかりですが、向かいの牧場ではご婦人が喜びそうなスイーツも美味しそうでしたよ。

 全国放牧中の二足走行の牛の変種

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