昨日は若草読書会の桜見物、故智麻呂さんのおうちに集まって偐家持氏の万葉歌と桜についてのお話を約一時間伺う。往時の花の中央には「梅」があって桜は添え物のような扱いであったという。当時から舶来モノへの信仰が根強く、中国から伝わった梅が大きな顔をしていたようです。
長門川沿いにて偽山頭火 素直にメットです
長歌を除くと40首の万葉歌があるとのことですが、「山桜の板戸」も桜が原材料と云うことでふくまれているとのことですので、偐家持選としておくのが無難かも。
1番「あおによし寧楽の京師は咲く花の薫ふがごとく今盛りなり」(小野老 巻3-328)<奈良の都は咲く花がかがやくように、今盛りである>と都を褒めたてた
16番「暇あらばなづさひ渡り向つ峰の桜の花も折るらましものを」(高橋虫麻呂 巻9-1750)<時に余裕があれば、なんとかして対岸に渡り、向かいの山の峰の桜を手折りたいものだ> これは、後生江戸時代末期頼山陽が同じ風景を眺めて「河内嵐山」と称した場所と一致すると思われます。同じ感性を持っていたのか、故事を知っていたのか。多分両方だったのでしょう。
愚僧から眺める読書会同人
行列が 齢の順に 並ぶのか <偐山頭火
読書会と昼食が過ぎ、皆さんの関心事は5月に予定されている智麻呂氏を偲ぶ会へと向かいますが、中入りに観桜に出かけたときの写真です。往時は野山を駆けまわった読書会の皆さんも「行列が 齢の順に 並ぶのか」となり、ベンチで小休止されている所を撮影したら偐家持氏から撮り返されたのが冒頭の一枚。
寿々屋のイチゴ大福
偲ぶ会にはあまり関心が無いこともあって、愚僧はここで分かれて瓢箪山商店街の寿々屋へイチゴ大福と赤飯を求めに。智麻呂さんが健在の頃は月に1ー3度は訪問して土産にしたモノです(お金があると絹屋と云うこともありました)。仕事場に近いことがあり智麻呂氏の眠る共同墓地にはよく行くが、墓に向かって何と言って良いのかわらず手を合わして「なむあみだぶつと」言っているというと、小阪教会の関係者らしい方からひんしゅくをかいましたが、お墓に眠る智麻呂さんは何でも良いよ・・・また来てねとお答えいただいているような気がします。
手を合わす 姿は万国 共語語 <偐山頭火