河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

智麻呂師の墓に参る

 本年2月に亡くなった我が師智麻呂様氏のお墓にお参りして来ました。お亡くなりになるまでの経緯は何度もご紹介しているので省きますが、亡くなったのが愚僧の股関節置換術の前で、愚僧はコロナには絶対に罹患できない状態で式に参列出来なかったり、納骨が術後直ぐであったため今日までご無沙汰していた次第です。
 墓所休息所から智麻呂氏の家の方向 中央割れ目方向 左小高い丘が玉手山

 墓地ははびきの中央霊園という墓園内にあり、C区画と云うことで一番北側です。ここからは、智麻呂氏の自宅方向が望める絶好の位置にあります。日本キリスト教団小阪教会の共同墓地で、従前写真で見せていただいていた印象とは違い、1区画に大理石の納骨できるお墓がデンと据えられています。当たり前ですが建築基準法は適用されず、建ぺい率や容積率に関しては制限が無いので、隣地ギリギリまで利用されて少々お行儀が悪いですかな。
 小阪教会墓地

 お花や線香(?)は持参しない主義の愚僧ですので、愚妻共々雑草引きと枯れかかった生け花のクズをお掃除して智麻呂氏にご挨拶。さて、この様な共同墓地の場合は如何してご挨拶する人を呼び出すのか。恐山ならイタコがいて取り次ぎしてくれるのだろうが、さてご本人と交わることが出来たのか、または余計な人を呼び出してしまったのか。
 雑草引きと枯れ花拾い

 帰路坂を下りかけると桜が紅葉していました。智麻呂画伯とも呼ばれた師の本格的画作は桜でしたので、これから毎年桜の花を描かれて楽しまれることでしょう。
 桜の紅葉

 さらに下ると羽曳野市営グレープヒルスポーツ公園の看板がありましたので寄り道です。ここは愚僧が在職時高齢者を担当していた時にしばしば訪れたことがあります。高齢者の交流ゲートボール等の試合で引率して訪れ、開会時の挨拶をしたりしていました。それが今や引率されて来ても良いような齢となったものです。
 グレープヒルズスポーツ公園

 大和川が大阪へと流れ出て、流域を埋めて平野が形作られました。その大地の上に、商都大坂が築かれています。霊園眼下には応神や允恭天皇陵が浮島様に点在する様子は、古代史からの絵巻物のようにも見えますね。遙か彼方には大阪の町を地層とつなぎ止めるようなハルカス始め多くの高層ビルが建ち並んでいます。良き地を永遠の住み処とされた智麻呂氏に、残された者が精一杯生きる様子を見守っていただきましょう。
 歴史軸パノラマか

 天空の 羽曳が丘に 師眠る  <偐山頭火