河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

地の塩

 あなたがたは、地の塩である。もし塩のききめがなくなったら、何によってその味が取りもどされようか。もはや、なんの役にも立たず、ただ外に捨てられて、人々にふみつけられるだけである。イエスによる山上の垂訓(さんじょうのすいくん)は、新約聖書の『マタイによる福音書』第5章から7章と『ルカによる福音書』第6章にある、イエスが山の上で弟子たちと群集に語ったと伝えられる教えの一つです。以下はその塩の効き目がなくなったという駄洒落です。
 塩の効き目がなくなった 雑草がはびこっています

 我が師といえる故智麻呂師(キリスト教団牧師)を偲ぶ会が今月行われようとしています。愚僧は都合が付かず欠席となった。お葬式にも出席できませんでしたので、お墓には良くお参りさせていただいております。羽曳野市の端にある「はびきの中央霊園」がそれです。どなたかに言わせると「貴方は近いから・・・」とおっしゃるが、お墓は近い遠いではなくその気持ちだとも思います。確かに土地勘というのはありますが、この霊園に埋葬されるまでは行ったこともない霊園です。
 異彩な雰囲気

 周りは純日本風のお墓ばかりで少し異彩を放つ共同墓地ですが、向かいのご五輪石と組み合わせるとより異彩を放つかもしれませんが、それなりにも見えます。連休明けですが、少々雑草がはびこっていましたので、草引きをしつつ書き出しの山上の垂訓を思い出しました。既に地の塩としての効果がないのか・・・・と。
 瓢箪山方向を望む

 氏のお住まいの瓢箪山方向を休憩所から望みます。ご自宅におられた頃は足繁く通ったお宅ですが、コロナとその後の入院で5年ほど参っていませんでした。実際に智麻呂氏がおられないのでは通っても笑顔にあるわけでもなく会えるわけでおなく自然と足が遠のきます。
 當麻寺から一言主神社

 智麻呂師の墓参りの後竹ノ内街道で當麻寺へ、中将姫餅を求め山麓バイパスを南へ走り一言主神社へ。千年以上の大銀杏の再生の様を見ているだけに神というか自然力というか樹木医の力を感じます。更に序でにも「アレ!しまった」と思ったスピード違反も偶然に助けられました。交通安全運動期間、常識外(?)れの場所でもねずみ取りをやっておられました。
 法起寺のコスモス畑 予定地かな

 昨日は少し足を伸ばし、斑鳩まで。安村さんのイチゴを求めて行きましたが、「最近は二日に一度程度の販売、今日の分は終わりです」とのこと。予約していない愚僧が悪いので次回を約して帰路に。餅とイチゴの序参りの墓参と言われたそれまでですが、それもまた良しでしょう。

 序ででも 足が向くかな 師の墓に  <偐山頭火