河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

湖北の旅前編 23年梅雨季 小谷城周辺

 なんだかんだと忙しい春が過ぎ一息入れにと、湖北を目指しました。何度もなく訪れている場所ですが、初心にかえり須賀谷温泉小谷城からスタートした。須賀谷温泉は足に病をもつくとが無かったら訪れることが無かった温泉、その北の谷を越えた位置に存するのが小谷城です。浅井三姉妹が暮らした戦国の山城です。小谷城登城道の「望笙峠」から見る竹生島などの琵琶湖は絶景です。
 須賀谷温泉(旧館)

 河内温泉大学の記録に残っているのは2006年7月で既に新館に移築されている。移築される前の館が上記の写真で、少し使い勝手の悪い部分もあったが古いものにはそれなりの哀愁があるもので、良かったような気がする。この旧館で食べたのが瓦焼きそばというもので、戦場ではすぐに調理が出来るとあったように思うが、この時代に焼きそばがあったのか、瓦では熱伝導率が悪いのでは無いかと、疑問点も残る。今回それを確かめようとも思ったが、定休日とあっては聞く相手もいない。温泉謂われの石碑を写真に収める。
 温泉の謂われ

 谷を一つ琵琶湖側に異動すると小谷城です。詳しくはウイッキペディアの小谷城の項に譲るが、NHK大河ドラマ「江」の直後に行ったときは城(番所)に登る車は通行止め、小型バスによるピストン輸送しか登る手立てが無く引き返したのもです。今回はそのような喧噪は無く、通行自由でありました。途中望笙峠から見る琵琶湖と竹生島の景色は比叡山のその眺めを圧倒し、賤ヶ岳からの眺めと同レベルにあります。
 久しぶりの望笙峠

 これより一キロも登れば車での終点番所に着く。青年が一人下っていたが、目がものを云っていないためお節介はせずやり過ごした。最高部の「大嶽」まで歩いたような様子でした。
  番所にあった城の配置図

 谷や尾根を利用した、守りに優れたお城の配置がよく分かります。交通の要衝をうえからにらみつけるこの城を落とした信長の執念やいかにでしょう。

 放送記念施設とか

 三姉妹それぞれ輝かしい生涯を送りますが、一番輝かしく悲しいのは母親市でしょうか。小谷城落城時に救出され織田家に預けられ、織田信次守山城で暮らすこととなりました。信長の死後、市は織田家重臣であった柴田勝家と再婚し北ノ庄城に入るが、1583年(天正11年)の賤ヶ岳の戦い羽柴秀吉に敗れて北ノ庄城が落城。勝家と市は自害し、三姉妹は秀吉に預けら、輝かしい歴史の項を重ねることになります。
 付近案内図

 この場所に車を置いて先ほどの青年は登ったのでしょう。前回来たときはここがバスの発着場になって賑わっていた。ここも定休日かもしれない(須賀谷温泉の例)がかつての賑わいはどこへ行ったのか。日本と日本人らしい光景だと思います。

 そろそろ時間となりましたので更に北へ進み本日の宿木ノ本「己高庵」へと車を進めます。

 母と姉妹 四人で戦国 もてあそぶ <偐山頭火