河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

龍田川論争に決着か

 嵐吹く三室の山のもみぢ葉は 龍田の川の錦なりけり (能因法師)は小倉百人一首の有名な和歌で「永承四年(1049年)、後冷泉天皇の時代に開かれた大規模な歌合せで詠まれたもので」とものの本には書かれています。しかし、約千年後には現在の竜田川沿いには龍田神社があり大和川との合流点近くには三室山なる丘もあります。
 竜田川の紅葉 斑鳩町によると竜田川と表記されています

 龍田神社

 斑鳩町の古道脇の龍田神社では、本日は氏子達によって新年用の注連縄作りが行われていました。縄をない束ねて注連縄にするのですがこの光景は初めて拝見しました。わずか一キロほど先の竜田川では斑鳩町紅葉祭りが行われて大賑わいでしたが、同じ名を冠する龍田神社の方はひっそりしていて少々お気の毒にも見えます。

 注連縄作り

 龍田大社

 一方龍田大社三郷町にあります。祭神は別名を龍田神・龍田風神ともいい、毎年行われる風鎮祭は、天武天皇(675年)に始まると伝えられる由緒を持っていると言われています。神域を三室山と称し、奈良と難波を結ぶ龍田古道の亀の瀬越えが神社の裾野を通っています。

 神社内は 七五三参りで賑わっていました

 さてここで「論争」です。能因法師が詠み在原業平がからくれなゐにと詠んだ「龍田川」とは、竜田川なのか大和川なのかというのが論争と云うほどでも無いが論点です。大社と神社の関係は、龍田大社によれば聖徳太子法隆寺建立の際、龍田大社に日参し工事安全を祈願しました。そして、竣工落慶(しゅんこうらっけい)の際に法隆寺の守り神として当社の御分霊をお祀りしたのが龍田神社のはじまりです・・・とのこと。愚僧は以前から亀の瀬との位置関係や、社殿全体の醸し出す雰囲気から「たつた」川は大和川では無いかと考えていました。現在のいかにもという三室山や竜田川の流れは水くくる程の水量では無いと思っています。多分両者ともに龍田川に立って歌を詠んだのでは無く、錦絵か伝聞による想像の龍田川であろうと思われますが、ある意味では罪作りな和歌でもあります。

 論争を終えて

 この日の最後に斑鳩秋桜を見てきました。中宮寺跡地の広大な広場に時期をずらせるように植えられていて、時季外れと思える今日も写真のように見事です。法隆寺まで土産を求めて行きついでにソフトクリームの値段を見ると腰が抜けました。

 ならばアイスクリーム

 門前から少し離れたよろず屋の前に冷凍庫があるので、奥さんらしき人に問うと正解でした。ソフトクリームに勝れども劣らないソフトクリーム風アイスクリームを門前に戻りほおばりながら、並松通りを見ていると数店が閉鎖されている。コロナの後遺症なのか気の毒にも思えますが、愚僧の法力の及ばないと再び再興することを祈念しました。

 たつたがわ 紅葉くくり 知らん顔とは <偐山頭火