河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

フライング月初墓参から

 月初には少し早いが、好天の昨日お墓参りに行ってきました。それと云うのも、今週初めに奈良で高野槙の原木(枝)を購入していたのでこれを整えて墓の槙として供えるのを急いだことにあります。そのため、お寺の掲示板はまだ書き改められておらず後日の掲載とすることにいたしましょう。
 お墓の高野槙 少しは未詳流も上手くなってきました

 お墓の前の公園にある土俵には武蔵川部屋が三月場所の宿舎を設けています。浪速の春は相撲から・・・とも云いますが、我がキャンパスの年中行事になってきた武蔵川部屋です。大昔は朝潮が全盛の頃、近大近くに出部屋を設けていましたが近大におけるスポーツ熱が冷めだした頃から相撲も野球もあまり騒がしく無くなりました。三十年ほど前に無くなった親父が大の相撲好きだったので、墓の脇に出来た武蔵川部屋には喜んでいるでしょう。
 武蔵川部屋の幟 往時と比べて数が減った様な気もします

 さて、序でですので更に春を求めて軽く銀輪散歩。中央環状線に出ますと菜の花が咲いています。司馬遼太郎の「菜の花忌」が近いので沿道に菜の花が植えられています。何時か、この花が盗まれて大(?)事件になったこともありました。その後更に発展するのかと思うと司馬遼記念館が菜の花を実費販売をやりだしたことと、地元にあまり貢献しないこの行事に住民も参画しなくなって盛り上がりに欠けます。また開催地を東京と大阪で隔年にするのも、記念館の東京志向が出ていて地元に目が向けられていない気がします。
 中央環状線沿いの菜の花

 我がキャンパスを北方向に大きく回ろうとすると中央大通りあたりで西に向かいます。家人の土産にと御厨団子を求めて御厨の集落に入るも、求める団子は売り切れか店が閉まっています。土産は諦めて天神社に参拝です。ここには大きなクスノキがそびえていてランドマークになっています。
 クスノキ

 神社の屋敷(?)は比較的広く、大空が見えます。まさに「天」神社ですな。神社のあれこれはリンクでご覧下さい。大阪と奈良を結ぶ最短陸路の暗越奈良街道に沿ってあるので往来が盛んだったことでしょう、今はその脇に産業道路という街道がそれに取って代わっています。カレーでお馴染みのハウス食品もこのあたりが発祥の地です。
 神社正面から

 地元と云えば先の司馬遼記念館と同じで、ハウス食品も小阪駅前に工場があった頃は工場から漏れるカレー粉のニオイだけを置いて地元貢献をしていません。今では工場跡地の半分を商大に売り払い知らん顔、住民にはカレー粉による花粉症に対する抵抗力のみ残しました。これが地元貢献と云えばそうなるのかな。
 天神社の銘板に由来が記されていました

 詳しくはリンクでご覧下さい。

 ジャガイモを植える準備 

 親父の墓への墓参から春の芽生えを探しつつ最後はぼやき漫才になってしまいました。ぼやきが多くなったのは、これも歳のせいでしょうか。最後にクラインガルテンに植えるジャガイモの種イモを天日干しにして次の晴天時に植えようと60グラムを目処に切りました。苗屋の叔母さん曰く、大きすぎてもダメで60グラム程度が一番良いと云うことでした。

 定植予定の畝 後ろにそら豆、スナップエンドウの畝です

 今年は早い春らしいが、我がクラインガルテンもボチボチ騒々しくなって来ました。隣に建物が建ち日陰が多くなったせいで、世間と比べて春の気配が遅い気がします。そら豆とスナップエンドウの跡地には里芋と薩摩芋そしてキュウリなどと考えています。

 孫達が 泥まみれに 芋掘りで    <偐山頭火

 泥孫が 輝いて見える 芋掘りだ   <偐山頭火

 

 追記:本日小阪駅周辺に所用があり、常照寺と小阪駅北の元ハウス食品工場跡の写真を撮影して来ましたのでここに掲載します。

 なんまんだぶつとは

ハウス食品元工場跡 手前が大阪商業大学後ろの建物にハウス食品のロゴが読み取れます