毎年のように繰り広げられる「菜の花忌」騒動です。昨年そして一昨年と司馬遼記念館を取り巻く、菜の花の善意が踏みにじられていますが、今年も水面下では同じような騒動(?)になっているようです。
捜査本部が置かれるのか布施署前
本人が菜の花が好きだと言ったという確証は持ち得ませんが「菜の花の沖に」と言う小説からヒントを得た司馬遼太郎の命日に財団がシンポジウムなどを行っている。氏が最後にお住まいになっていた場所が東大阪と言うことで没後財団を設立して、氏の後添えである福田みどり氏の弟が理事長となって運営されています。突然の死ゆえ、この経緯は氏の意向によったものでも無いでしょう。
記念館に通じる通路
その、記念館のある場所は市の下水道事業用地でしたが不要となり、古大和川の堤上に繋がる古い町並み上にあるため市が司馬遼太郎氏と朝日新聞社を誘致したようなもの、同社東大阪支局と隣り合わせで氏の自宅が立地していたもの。本来なら産経新聞が所縁でしょうが、当時の産経では購入することがかなわなかったのでしょう。今では、朝日新聞支局も立ち退き、財団が用地を広げて利用しているようです。
知人I氏の育てる花壇(手前が摘み取られています)
さて、記念館の成り行きはここまでとしまして、昨年、一昨年と市民が菜の花忌を盛り上げようと「浄財を募り」育てた菜の花が相次いで盗まれるという事件が続発しています。所轄の布施署でも全力を挙げて捜査するもルパンのような見事な早業で、美味しいところばかり盗まれ続けていました。
ここでは全滅ですね
今年はどうかと小阪駅前で種の購入から育種そして定植を行っている知人I氏に聞くと。「成長点の穂先ばかりやられまんねん、僅かやが小遣いで種買って水やってさっぱりや・・・」とぼやかれていました。食用では無いが花芽は十分に食せることを知った上での犯行らしい。気のせいか、菜の花忌を迎える地域の温度もかつてより幾分下がっているような気もします。
菜の花忌 切られて喰われ 散り果てぬ <偐山頭火>