大阪市内から紀州に至る「紀州街道」を辿って浜寺公園まで、犬養孝先生の揮毫になる大伴の「高師の浜の 松が根を 枕き寝れど 家し偲はゆ」という歌碑が移設されたと聞き見学と確認に訪れたもの。
天満の八軒家浜から伸びる高野街道がいずれかで分岐しての、紀州街道と言うことになるのであろうが、堺市内にはいると標柱などが整備されている。
阪堺電車が同じ機能を持っているのであろうが、街道を走る電車道も写真のごとく美しく整備されており「花電車」のようだ。
歌碑は公園正面の右30m程の所に、いわれなどを記した標と共に展示されている。いずれかの病院の庭にあったそうだが、浜寺公園というもっとも適切な安住の地を得たことが嬉しいのか、石も文字も笑っている様な気がした。
帰路は、大和川の堤に出て亀の瀬渓谷を目指して遡るコースを取った、海風を追い手にとって楽を使用という考えだ。これは妙手となって少しは楽を出来た。
追伸
阪堺線沿道の「ときわ湯」は再開している様子だった。午後3時からとある。近いうちに訪れたい。
写真:阪堺線花電車、紀州街道道標、歌碑、南海本線浜寺駅舎
浜寺公園にて
○浜寺に浜はなくとも浜寺か
○仁徳の陵に亀が鳴く(帰路立ち寄った仁徳陵にて)