河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

お湯休め「MTB行in南河内」

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 連休の中日はMTB行としました。相方は偽家持氏で、河内のヘソともいえる大和川と石川の合流点で待ち合わせです。午後から降雨の予報ですので、二人とも雨対策した服装で、いざ出立。
 
 石川を渡り、允恭天皇陵を一周します。近くをよく通りますがしっかり拝見したのは初めて。御陵の南を走る近鉄南大阪線を渡ると、道明寺と左には道明寺天満宮が並んでいます。共に菅原道真公縁の社寺です。

 さらに南下すると、応神天皇陵とそれを祀る誉田八幡神社応神天皇のおくりなが「誉田分」でお祭りする神社がこういう名になったのでしょう。神社では少し遅れ気味の「七五三」の参詣客がおられます。この神社が面する街道が東高野街道といって、京都東寺を出発して、高野山や熊野詣に利用した古の官道です。

 この道に沿って暫く南下すると古市の代官所跡に、ここで東高野街道と分かれて古市の大溝跡を見物に。この溝は古墳時代の運河で、古墳築造の大きな石などを運んだと言われています。ここから、踵を返して北向きに、暫く走ると「野中寺」に。ここにはお染め久松の墓があると言うことです。

 さらに北に走ると「辛国神社」、その近くに「葛井寺」に。藤井寺市の語源と言われる葛井寺は西国観音巡礼信仰の五番札所です、祀られている千手観音の手はその数日本一とか。この辺りは藤井寺市中心市街地ですが、藤井寺球場が無くなって少し寂しくなりました。

 ここからは、さらに北の「津堂城山古墳」目指します。この古墳には花菖蒲や睡蓮の花壇が造られていて、季節がめぐったら再び訪れたくなります。ここから長尾道というこれも古代の官道を探しつつ雄略天皇陵を目指しますが、長尾道が見つからないまま雄略稜に到着しました。この辺りから雲行きが怪しくなり、最後の目的地の吉村家を探すことに。

 この吉村家は近隣一八か村の取りまとめの庄屋を代々続けていました。壮大な敷地に長屋門を始め立派な建物が建ち並んでいて、重要文化財に指定されている民家の中でも群を抜いています。そこに未だに子孫が住まいされて日常生活を送っておられることも驚きですね。

 さらに北を目指して、大和川に戻った辺りで相方の偽家持氏と別れそれぞれの帰路につくことにしました。何とか雨も本降りになる前に無事帰宅することが出来ましたが、足はぱんぱんに張っています。明後日辺りに、強烈な筋肉痛が来るでしょうが、これも心地よいものです。

 写真:応神陵と誉田神社を結ぶ石の太鼓橋、辛国神社、葛井寺前で自画像、雄略天皇陵、足となったMTB(すべての写真をご紹介できず残念ですが、固有名詞を検索にかけていただくと殆ど見ることが出来ます)

 名も無い陵にて
 ○王の墓河内に浮かぶこぶにも運