今の山口県防府市出身で資産家に生まれた種田山頭火は、父親の放蕩そして自身の経済力のなさから一家は没落する。生家に近い町筋には「山頭火の小径」と称して、自宅付近から駅までを整備している。この間を他人の土地を踏まずに通えた・・・とよくある大地主伝説だが本当だろう。
今も、小径の周辺には彼の句が板切れに書かれてつるされている。近くて遠い故郷であった、こんな形ででも故郷に貢献できるのは、彼の喜びであろう。
小郡の「其中庵」を退いた山頭火は、湯田にある竜泉寺の一角で「風来居」と称して暫く過ごしていました。温泉が好きな山頭火がしばしば「拝湯」に訪れたのは西村屋という旅館。中原中也の結婚式も行った、地元では有名な旅館だ。旅の行乞僧にも手厚くもてなしたそうで、露天風呂が「風来の湯」として今も面影を残している。
湯田の街には「山頭火通り」という通りがあって、マンホールに句が記されているが、これはちと「踏む」には勇気が要る。山頭火研究家である大山澄太氏による句が建碑されている。どちらかというと踏みつけるよりはこの方がましだ。
写真:山頭火の小径(防府)、建碑と説明、西村屋玄関、風来の湯、マンホール蓋
○湯田にて
蓋となり 踏みつけられても 山頭火