河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

お湯休め「八重の桜 ある同志社人の関係とは」

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 今年の大河ドラマで「八重の桜」が放送されています。歴史ものと云う放送のジャンルの中で、社会性を持ったテーマは珍しいと思います。八重の桜は、震災復興を先に見据えての、テーマと人物設定であったような気がします。

 同志社卒業生としては、斯様な宣伝を国営放送にして貰って、来年はさぞかし偏差値が上がるであろうなと、嬉しくなったり、自身の偏差値がかなり下に追いやられるような寂しさもあったり。好感度での調査値として先の日経紙上では、関西の大学で京大、阪大に次ぐ3位でありました。

 さて、前置きはこの辺で。私は彼の学校で少年期から通算10年過ごしました。入学当初は、新島襄の伝記を1年間かけて学習させられます。群馬安中藩の下級武士のせがれで、祖父が男子が生まれたので「しめた」と叫んで幼名を「七五三太」(しめた)と付けた。函館港から脱出してアメリカのアモースト大学に学ぶ、他幾多の困難の末日本に帰国した等々です。

 帰国後、英学校開設に努力し明治8年に今出川薩摩藩京都藩邸に「同志社英学校」を開設、後に大学となる。大学の附属高校や中学校も開校し君たちもいま学んでいる・・・。というお勉強です。ただし、「八重」のお話は一切出てきませんでした。念のため、愚息に聞いても同じです。彼も7年間私と同様の学歴なのですが、「八重の話は知らん」と云います。

 斯様なことは、八重の桜や八重の桜効果とはあまり関係がありません。卒業生としては、同志社が「宣伝」されているのは喜ばしいことです。

 写真:新島旧邸見学パンフレットより数点

 記念碑は40数年前に訪れました
 脱国の 禁を犯すは 函館港 記念の石碑 誇らしく建つ  <偐山頭火