戦乱の世は「関ヶ原の戦い」でけりが付いたようにも見えたが、目の上のたんこぶである「豊臣」はなんとしても排除したいのが家康。知略の限りを尽くして十数年後大坂の冬の陣、夏の陣でけりを付ける。が、そこにはだかったのが知将真田幸村でありました。同様に奮戦した後藤又兵衛、塙団右衛門そして薄田隼人にしても格下。はやり大名閣の真田幸村は生き残るための戦いを挑むが、最後は多勢に無勢、奮戦空しく散った。
秋の終わり、所縁の三光神社へお参りし、丘の上から大阪平野などを眺めつつ大坂の陣の諸戦に思いをはせてみました。
その幸村を主人公にしたNHKのドラマが始まるという。そこで、ここ数年かけて大坂の陣を中心にして府下各地に点在する戦跡のご紹介しましたが、今回纏めてみました。天下分け目の戦いが、意外と身近な所で演じられたというある種感動も覚えます。
その幸村を主人公にしたNHKのドラマが始まるという。そこで、ここ数年かけて大坂の陣を中心にして府下各地に点在する戦跡のご紹介しましたが、今回纏めてみました。天下分け目の戦いが、意外と身近な所で演じられたというある種感動も覚えます。
写真:関ヶ原石田三成の笹尾山の陣、大坂城の出城として「真田丸」を構えたという「三光神社」、初戦は「樫井川」の戦い。團右衛門は討ち死にする、討ち死にした場所(羽曳野市誉田)にあるという、薄田隼人の墓、薄田隼人の墓は大阪市内にも。天王寺区増福寺内の墓、玉手山の戦に間に合なかった真田幸村は、帰城前志紀長吉神社で戦勝を祈願している、戦い終えたのか、一息入れるのか複雑な姿勢の真田幸村。安居神社内、玉手山の戦で憤死した後藤又兵衛の碑。何故か墓は各地に在る、鳥取市内の「景福寺」の後藤家の墓。ここには、黒田官兵衛の子と記されている、大分県中津市奥耶馬溪にある後藤又兵衛の墓、大坂の陣祈念の鎮魂曲「誓いのとき」も、箏曲会の重鎮「大嶽和久」氏により作曲、所縁の玉手山で初演された、木村長政は八尾・若江の合戦で勇敢に戦い果てます、八尾市内の常光寺という名刹では、2015年に本堂の改修工事が進められています。大坂の陣所縁の寺。