過日檀那寺の報恩講が開催されました、女房が出席して念佛をあげたり講話をお聞きしたり。出席者にはお砂糖などが配られたが、中に「とん蝶」が必ず入っているのも出席の狙いかも。彼女の学生時代は仏教を教育の主におく学校だったので、あの雰囲気に懐かしさも感じているようです。
河内の小さな村のお寺です。お寺の習いとしてよく門前に「経典」や「教え」などが印刷された紙が張っていますが、このお寺は住職の意地が垣間見られる自署された教え・戒めが張られています。報恩講のこの日は写真の「一念多念文意」が、独特の書体で。
張り替えの間隔はお聞きしていないので分かりませんが、門前を通過してお墓参りする時の楽しみにしております。アマゾンでお坊さんを「取りよせる」時代で、宗教も形骸化したと嘆く方が多いと聞きます。多分私も含めて、形骸化したと嘆く本人が、形骸化の張本人であるかも。もっとも、宗教心をもっと持てという意味ではありません。現代社会には、森*のように真逆を走られても困りものです。
写真:報恩講の日他