河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

お湯休め「山辺の道 海石榴市の猫から」

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 本日も大和路銀輪行、桜井編です。大昔に偐家持ことけん家持氏に教えていただいたコースの焼き直しですが、纒向遺跡に関して大きな変化が見られました。また、道中の野良猫対策も可笑しいし、オーラスには山羊の勤労風景にも立ち止まり思わず応援した一日でした。では、海石榴市周辺からです。

 仏教伝来の地の碑が大和川右岸にあるのが、三輪山麓の海石榴市です。この地で詠まれたという「紫は仄(灰)さすものぞつば市の八十のちまたに逢へる児や誰」は一番好きな万葉歌と云うか、すらすら出てくるのはこれくらいと云った方が素直です。桜井市役所に車を止めて、トレンクルで大和川を渡るとその海石榴市です。

 私が会えたのは一人の歳を召した男性です。金谷の石仏の手前で徒歩の彼を追い越したらしく、休息していると話しかけてこられました。お話しによると、元々河内の「角田」で働いていた。今は自宅が大和郡山にあるが、桜井の娘の家で世話になっている。三ヶ月期限だが病になると出て行く約束、で毎日健康維持のため散歩している云々。その角田は私の親父の出身地です、その地名に懐かしく話し込んでしまいました。先に行かれる彼の背に「お元気で」と声援です。

 ここから、大神神社山辺の道を進みます。この辺りでは、人ひとりがやっとと云う道幅です。神社で素麺でもと目論んでいましたら、それなりの人出なのに当てにしていた店は「休店」です。贅沢なとも思えるが、こんなものなのでしょう。持参の携帯食ソイジョイで小腹を満たして進みます。山辺の鉄道とも云える桜井線沿いに大鳥居と大和三山が見渡せる、偐家持氏推奨の絶好のポジションへ。

 この日持参していたのはバックアップ用のカメラ、その画像に曇りがあるのをここで発見です。仕方が無いので目立たないように以後広角で写しますが、こんな時こそズームが欲しいシーンも多くなります。纒向遺跡はここ暫く「大発見」が続いて人気とか。Eテレの昨夜と一週間前の連続放送でも話題になっていました。そして、それを視聴して本日の行動にとなった次第であります。同時に取り上げられていた箸墓にもご挨拶です。

 纒向遺跡と云われるそのほとんどは、民地で中には真新しい居宅もあります。その底地が俄に大遺跡となって、地元も土地所有者も複雑な気分でしょう。それを象徴する様な公衆便所。誰が作ったのか説明も名称も無いが、立派なトイレが設置されています。見学者生理現象対策なのか、最寄りの駅にも見学者を捌ける程の施設は見当あたらないです。遺跡保存というか対策は、今後20年とか50年いや百年の時をかけた課題になるでしょう。

 そろそろ、本当に腹が減って来ました。桜井の市内へ戻り牛丼屋を発見して、並を戴きました。空腹が満たされるともう走る気力は失せます。マーフイーの法則です。桜井市役所の駐車場を目指す途中、公園で草刈りに夢中になっている山羊発見です。彼(?)は満腹を知らないのかひたすら喰っておりますが、所詮ロープの長さまで。自動で長短してやれないのかと思案しつつ、車を大阪に向けて走らせると遠くに駱駝のコブの様に二上山のシルエットです。

 写真:大和川三輪山仏教伝来の碑、海石榴市観音の合成猫、金谷石仏前、大和三山大神神社大鳥居、箸墓、纒向のトイレと駅舎、桜井市非常勤食託食員

 海石榴市にて
 海石榴市の野路に飛び交う虫や何 <佐藤春夫
 海石榴市の野路に彷徨う猫や何  <偐山頭火