河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

お湯休め「万葉歌碑と河内源氏を訪ねて 偐家持氏と銀輪行へ」

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 家事多忙でありました私と、眼球の手入れをなさり静養中であった(でもなかったと聞きますが)偐家持氏による久しぶりのMTB行であります。今回は、万葉歌碑二つと河内源氏の本貫であります、羽曳野市壺井地区を巡ってきました、「偐偐MTB行」であります。

 待ち合わせは柏原市リビエールホール。この場所は、南河内方面、奈良大和路方面へのバイカーの集合場所として有名です。トイレは利用できる、軽食も取ることが出来、目印としても申し分ない。ここから、大和川を渡って、石川沿いを南下します。羽曳野市中心市街地を目指して、西進すると、峰塚公園には次の歌碑が

 霞立つ 野の上の方に 行きしかば 鴬鳴きつ 春になるらし
巻8-1443 丹比乙麻呂

 同じ羽曳野市内には「野之上」と言う地区があるが、歌との関連は我知らず。

 この碑が建っているのが「竹之内街道」古道です。この街道を東に進み、臥龍橋で石川を渡ります。渡って数十メートルほど街道を進み、更に石川堤防を南下します。南阪奈道路の高架を過ぎて数分も走りますと、左に小山が見えてきます。この小山の麓が「壺井地区」、河内源氏の本貫で「源氏の三墓」と云われる墓や菩提寺などの遺跡があります。

 地区の北側にあるのが「壺井八幡宮」。二代目が石清水の神を勧請したのが始まりとか。見事な鳥居と石段ですが、バイクで駈け上がるのは少し困難。ここは家持氏に代参して頂いた。見事な社殿だとか感心されていたが、いずれ彼のブログに掲載されるので、詳しくはそちらを参照してください(手抜き)。

 先ほどの小山の上には、初代頼信と何故か大僧正隆光の墓が。それと向かい合っているように見えるのが三代義家とその家臣団と思われる墓碑群。小山を下って、少し北に行くと通法寺跡には二代頼義の墓が在ります。小山を下る途中から、壺井の集落とその先には石川が流れています。石川源氏とも云われたこの集団の繁栄を支えた水量です。

 更に石川を南下して富田林彼方(おちかた)へ。この地名は万葉の時代にもあったようで、地区の学校には次の歌碑が

彼方の 赤土の小屋に小雨降り 床さえ濡れぬ 身に添え 我妹
                  巻11-2683  読み人知らず

 しかし、恋の歌を小学校の校門脇にあるのも不思議ですが、不思議がらすに人類愛を説いたものと大きな心で鑑賞することに。

 この辺でこの日の幕としましたが、偐家持氏は滝谷不動尊も予定に入れておられたようだが、今回は中止して頂いた。多分この場所で踵を返しても、約60キロはありましょう。数ヶ月ぶりの銀輪行にしては「もう十分」と云ったところです。加えて云い訳だが、MTBの高速用ギアが二枚使えず何時もの1・5倍はこがねばならなかったのも辛かった。

 写真:軽里の歌碑、壺井八幡宮と井戸、初代頼信と隆光の墓、三代義家と墓石群、二代頼義の墓、壺井集落の遠望、彼方小学校歌碑、手抜き用説明板

 石川を遡り
 水流は 歴史の撚糸 手繰り寄せ 源氏三代 壺井の丘に