河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

京街道往来「33キロ 800カロリーとは」

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 昔、大坂から京方向へ出かけると「京街道」を行く、同じ道を京から大坂に向かうと「大坂街道」と云ったそうです。大阪と奈良を結ぶ道も同じように表現するようですが、要は立ち位置によって名称が変わるというか、どちらを向いて歩いているのかがよく判ります。

 その、京・大坂街道の一部が残っている守口市内を目的に、淀川を下り大川から大阪城。そして奈良街道を東に走り河内へ帰るというルートで走ってきました。少し規模が大きなリハビリ輪行です。その行程が33キロで消費エネルギーが800カロリーという下らないお話しです。四時間弱ペダルを漕いでも、昼食とやや大きめのアイスクリーム一個食べると「元の木阿弥」と云うことです。

 河内から花博会場を過ぎて、更に北に進路を取ると京阪電車守口市駅に出ます。高架をくぐりますと直ぐに京街道跡の堤が見えます。豊臣秀吉が家来に命じ伏見城大坂城を結ぶ最短ルートを淀川の堤沿いに造らせたのがそもそもの由来です。以後、淀川と大川が切り離される等で川のルートが北に移動していますので、今では堤跡です。江戸に入って「守口宿」が設けられ、東海道五十七次しんがりとなりました。高札場の設置や修景に努力の跡が見られますが、尚一層奮闘を望むところです。

 毛馬の閘門から大川沿いで大阪城へ、場内のグラウンドではイベントが行われている様で若者で騒々しい。伏見櫓を眺める北外堀辺りでコンビニサンドイッチで昼食です。その横で大人数人が卓を囲んで騒々しい。これは何かと眺めていると「麻雀」をなさっている様子です。大昔に通った雀荘は何か薄汚れた日陰という雰囲気がありましたが、この場合は青天、中々健康的で宜しい。IRとか小難しい「統合型リゾート特区」は既にお城の中で実現されている様ですね。

 さて、仕上げは奈良街道です。途中堤のようにも見える旧街道を東に進み、長瀬川で右折すると振り出しに戻りました。出だしの計算では余り糖分の消費には役立っていないようですが、幾らかは減らせたでしょうかな。

 写真:文禄堤碑、同説明、町並み三題、淀川、大川のナンバー付(808)き船、先行型IR特区

 毛馬の閘門にて
 減量や 堤長うして 糖減らず <偐蕪村>