河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

熱波災害の京都「伏見街道往還」の銀輪行 その2

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 喫茶メモリーで栄養補給、水分補給そしてたっぷりと休息をとらせていただき、お店前でターンです。往路脇目で見た東福寺の表札が掛かった門をくぐります。紅葉の通天橋は何度か来たことがあるのですが、禅寺の三門としては日本最古と云われる三門を未だ見ていないので偐家持氏を半ば引き込むように。前の蓮の花と燻し銀のような三門の色と風格は非常にマッチしています。少し高度を稼いだ序でと、門前の道路を南下します。

 徳川家康正室旭姫の墓と云う石柱が建っている凌雲山南明禅院という寺もこの道すがらに在るので、古くは東福寺の一部であったのかも知れません。但し旭姫には悪いのですが、次回チャンスがあったらと云うことで写真のみ押さえましょう。更に南下して民家が密集しだした所で空が広がったら、先ほど混み合っていた伏見稲荷の参道へと繋がっていた。又も渦巻きのような集団に呑み込まれそうになるが回避して先へ進みます。

 名神高速の高架下を過ぎ暫く南下していると、藤森神社の西門が見えて来ます。いわゆる正門で、普通でしたらこの門から入ることになるのでしょう。神社の南角を東に曲り、次なる目標の「恒武天皇陵」にポイントを絞って偐家持氏が進みます。それを追いかける偐山頭火、競馬風実況でしたらデッドヒートと云う所です。しかし、恒武天皇陵を発見した所で勝負は付きました。写真は下りですが、この登坂と数十メートル毎にある段差には力尽き手押しで上がること10分強。私が到着した時点では偐家持氏は写真撮影も完了し余裕の紫煙を薫らせています。なんでも、ここから数百メートル登ると明治天皇陵があるらしい。両方お参りすると、京都に遷都した天皇と京都から遷都した天皇の両方にご挨拶することになるが・・・と問われたが明治天皇には悪いがご遠慮願いしました。

 さあ、これで天皇陵巡りは終了かと思っていたら、今一つあるというのが北朝第2代光明天皇と同第3代崇光天皇の大光明寺陵。ここまで来ると何がなんだか脳みそは沸騰・糖分不足で機能不全。宮内庁の統一規格のような鳥居の方向に向かってただ歩いて写真のみ押さえるだけ。次回読書会までには何とか整理が付くでしょう。ダメならばスピーカーにご教示願おう。ここからは伏見の町そして宇治川を目指して下るだけ。途中「伏見代官所」跡という看板が掛かっている所に案内された。鳥羽伏見戦いでは御香宮神社に陣取った薩摩勢に代官所を目がけて大砲を撃ち込まれて焼失したという。以後、新政府の軍隊などが置かれたようです。

 更に南下して宇治川に到着ですが、今一つシャンクというかウオータハザードに打ち込んでしまいます。サイクリングロードは続いているものとの思い込み堤外を走りすぎて行き止まりです。バックする若しくは堤をバイクを抱えて上がるかありません。ここでは偐家持氏にお世話になって堤防上へバイクを押し上げていただく。堤外からは見えなかったのですが辺りは伏見港公園の中、街区を流れる河川と宇治川の水位を調節する三栖閘門があります。資料館も併設しているがこの日は休館日とか、前回の偽家持地とのバイク行で行った高槻市立しろあと歴史館も休館であったのを思い出す。休肝日は良いが休館日は今一つだ。

 さて、ゴール直前には多少のごたつきもあったが、この炎天下での30キロに及ぶ伏見街道往還も無事生還。道端のファミリーマートで生還祝いのアイスキャンディーをいただくと生き返ったようです。最後に、ゲートを出る時に仕掛けました謎解きを。それは、駐車場所の樹木の枝振りを観察し帰着時間に車が枝の影に入るように置いたこと、ただこれだけですが室温は随分低いと感じました。

 写真:東福寺二題、旭姫のお墓とか、藤森神社西門、恒武天皇陵二題、御陵への坂道遠くは西山、大光明寺陵、伏見代官所、三栖閘門、賢く留守番の寅2号

 起終
 恒武から 京は始まり 明で暮れ <偐山頭火