河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

視野を広く息の長い観光資源・文化資産へとなれば 大阪初の世界遺産が

 百舌鳥・古市古墳群世界文化遺産登録推薦を受けて、過日両古墳群を銀輪散策して来ました。内容は既にレポートしたとおりですが、輪行中に頭をよぎったあれこれを纏めて報告の〆としたいと思います。
  白鳥陵古墳(古市古墳群)。 羽曳野市市名の由来にもなった古墳です。
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 今回の決定を受けて、既に登録が行われた国内の世界遺産についても報道がありました。その中で両極端をいくのが「富岡製糸場工場」と「石見銀山」でした。富岡に関しては今や閑古鳥が鳴いている。一方石見銀山は入場制限などを行い、盛り上がりも無かったがいまだに観光客が途絶えないという。内容も立地も違い同じ俎上では扱うのは酷としても、世界遺産登録が最終目的地で無いと云うことを意識しているか否かがその遠因でしょうか。
これで、一儲けと企む一部の人にとっての「あて」が外れたと云えばそれまでですが、登録された周りに住む人にとっても登録に伴う制限などあり他人事では無いはず。要は登録をどう生かすかでしょう。
 仁徳天皇陵古墳 ホテルの目印になっていた時期も。
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 「仁徳タワーを作って観光客を呼び込む」、は極端なバカバカしい発想ですがそれに近い思考を持っている人にもここで立ち止まって考えていただきたい。
千数百年前の人々が苦労して(現場作業員で自分の意志で敢えて苦労した人は殆ど居ないと思うが)作られた、古墳の脇にコンクリート製の塔を作る。この思考は今の様にもてはやされるまでは、古墳を潰して宅地にしたり、いかがわしいホテルを真横に建てたりしていた思考と同じ発想上にあるように見えます。この際、自身の欲得を忘れ今後千年にわたって世界遺産となった王陵をどの様に維持していくかを考えて見ましょう。
 名阪国道下の古墳 高速道路の下敷きになりました。
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 古墳周辺では、民間開発に加えて道路作りなどでも相当な無理をした様子が見えます。今後は、溢れた水を元に戻すことは無理としても、少しでも修景等を図ることが大切でしょう。行政は勿論民間の智恵と汗が求められるが、これが遺産登録を目指した現代人の後世への責任でもあります。
 鍋塚古墳(古市古墳群) 修景されてすっきり、人との距離も縮まりしました。
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 今回登録されます百舌鳥・古市古墳群に関しての思いに加えて今一つ思うこと。それはこの登録を切っ掛けにオール関西と云うか畿内を日本の歴史の曙の絵巻物としてとらえてはどうか。今さら「お前に言われなくても…」と仰る方が殆どだと思いますが、日本の古代から中世にかけての中心舞台であった畿内。特に、古墳時代、ヤマト政権の成立そして律令国家から貴族社会へと常に舞台は畿内・関西でありました。
 法隆寺近くの法起寺 古墳と違い作りっぱなしではありません、法隆寺と同様に連綿と使われ続けています。
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奈良東大寺の大仏殿 裏側からの風景です。
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 その歴史を物語る痕跡として百舌鳥・古市古墳群があり、一山越えると同じく世界遺産に登録されている「法隆寺地域の仏教建造物」があり、更にその先には特別法で保護が図られている明日香村があります。そして、「古都奈良の文化財」や「古都京都の文化財」さらに「紀伊山地の霊場と参詣道」と世界遺産の集中した地域です。
 那智の滝青岸渡寺 自然と文化遺産の融合ですね。
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 約半径50キロ程度の中にある世界遺産群を、日本の歴史舞台上での世界遺産として位置付けて、それを利用することが善しとするならそれなりの利用方法があるのでは無いでしょうか。要はコップの中で、こっちが良いとか悪いとか云っていては笑われますよ…ということです。
オール関西とか都構想とか喧しい連中にもご意見を伺いたいものです。
 
 参考:文化庁世界遺産一覧にリンクを張りますが、狭い日本にこれだけあると値打ちが無いというか、日本列島を一つの世界遺産にでもしたくなりますね。

 <追記>
 この世界遺産登録を切っ掛けに何か企画を…と思案しつつ投稿しました。その後の思い付きです。
 奈良(古都奈良の文化財法隆寺地域の仏教建造物+明日香村)と大阪とで連続性のある歴史イベントの開催。毎年でも良い、隔年でも四年ごとでも良い、開催期間と割り振りだけ決めて、内容は各自治体に知恵を出させて競わせるのも良いでしょう。