紀州街道を巡る旅の締めくくりに、街道の起点へとつながる上町台地をMTB散歩してみた。
先ずは、地名の命名者とも言われている先人のお墓に参ることから始めた。
鎌倉時代の歌人で『新古今和歌集』の選者でも知られる藤原家隆のお墓です。
契りあれば 難波の里に やどり来て
浪の入日を 拝みつるかな
この歌が夕陽庵でつくられたことから地名の由来と言われています。
少し南へ戻ると大江神社&愛染堂にでる。大江神社は、聖徳太子が四天王寺の鎮守として建てた七宮のひとつ。ここから見る海に沈む夕陽は絶景だったそうで、芭蕉も訪れ俳句を作っているそうだ。お墓とされているものが何カ所か有るらしい。愛染堂は「あいぜんまつり」で有名で、芸者衆を乗せた宝恵駕籠が南の街を練り歩く。
夕陽丘には、『天王寺七坂』と呼ばれる多くの坂がありますが、すべて松屋町筋へ下る坂道です。それも太古の昔ここから西が海だったなごりです。写真は口縄坂で、織田作之助の文学碑が左端に見えます。下りたい衝動に駆られますが、下ってしまうと登りが大変、ここは辛抱することに。
大阪人に『いくたまさん』と親しまれている、生國魂神社。その歴史は古く、まだ、まわりが海だった2700年前、神武天皇が国土の神を祀り建立されたものとのこと。神域には井原西鶴の銅像や摂社が沢山あって、それを指し示すモダンな標柱が建てられている。大阪人らしい合理性でしょうね。
この先落語「高津の富くじ」の高津神社、空堀を経て大阪城、更に進むと大川の八軒家浜が紀州街道の起点となるが、今回の夕陽丘散歩はこの辺でお開きとした。勿論、汗を流しに少し東にある「不動ノ湯」は楽しんだ。
写真:藤原家隆の塚、愛染堂、口縄坂と織田作之助文学碑、生國魂神社標柱、井原西鶴像
生國魂神社にて
○生國魂の大神に永久の誓に応援する
愛染堂にて
○宝恵駕籠に難波の夏が乗って来る
夕陽丘
○古の出逢い茶屋が今ネオン