大昔,知り合いが多く通っておられた「大阪女学院」という学校にも、「大坂城抜け穴伝説」がありました。学校祭で何度か伺ったことがありますが、実際に見たことはありません。
大坂冬の陣に高野山の九度山から豊臣方にはせ参じた真田幸村は、大坂城の機能を補完する出城を各所に設けて、東軍を悩ませるのです。幸村自身が立て籠もった「真田丸」という出城で猿飛佐助以下の十勇士が、神出鬼没の撹乱戦法で戦ったとのこと。この出城と大坂城を結んで連絡に使ったのが「抜け穴」とされています。しかし、奮戦むなしく幸村は翌年夏の陣で戦死(1615)します。
本日、上町台地東側にある小高いこぶにある真田公園内に三光神社を訪ねました。神社を出城に見立ててか真田幸村が砲筒数問を東軍に向けて勇ましく戦っておられました。その脇にはしっかりと「抜け穴」もありました。最高に盛り上がります。
念のため、その後大坂城に行き具に観察しましたが、出入り口を発見するには至りませんでした。今後の課題としますが、青屋門にて「辰」を発見することが出来ました。
写真:三光神社内真田幸村の陣、抜け穴、穴未発見の大坂城、辰の飾り
抜け穴の前で
○勇ましく大筒向けるも穴用意
余談:その後、魚の注文に辰巳屋という魚屋さんに行きましたが、ここは空堀(大坂城の遺構)通り商店街でした