木之元から国道365号を南下すると、約45分で関ヶ原に着く。途中伊吹山ドライブウエイに取りかかる辺りは、壬申の乱の戦跡でもあります。672年のことと云いますから、その約千年後に同じ場所で同じように天下分け目の戦が行われたという。何か因縁を感じるが、地勢等からして要衝であったのでしょう。(壬申の乱については偐家持氏のブログに詳しいので、ご参照ください。)
両軍の親方の場所を抑えた上で、歴史民俗資料館へ。ここでは、ジオラマを使って、両軍の動きを説明してくれます。日本語で聞きますが、中国語のボタンがあって、次はこれで聞いてやろうと思っていたら、他の客が来られて成立しなかったです。どの様な説明(雰囲気)かと楽しみにしていましたが。
さて、おおよその陣形や戦いの経過を少しは理解した上で、関ヶ原の地形を見ていると、どうしても石田軍に形勢が向いているように思うが、戦は始まる前の諜報等で決していたと言うことでしょうか。まして、黒田、福島、細川等々秀吉の時代とは反対に立つ武将を見て己を悟らなかった石田軍の端からの負け戦であったのでしょうか。
その幕引きを、10数年後に大坂でもやっているのですね。