前述の「北の湖」のお墓ではなく、慰霊碑参りとなった下りです。河内温泉大学から四天王寺を目指す目印は、あべのハルカスというビルが一番分かりやすい。道中は如何にもダウンタウンと云える町で自転車がやっとと云うような辻もあるが、視界が開けてハルカスを見付けたらほぼ四天王寺へは迷うことなく行けます。
だから安心というわけではないのですが、途中気が向けば寄り道を楽しんでいます。なんだか、国会審議のようですな。同日は、巽神社というお社へ参り、その先で「北の湖敏満慰霊碑」がある成恩寺に偶然に立ち寄りました。ご存じの通り茹だる様な暑い日、何処か日陰をと探しつつ彷徨っていましたら、お釈迦様が横たわっているお寺を発見、横で寝るまでもなく休憩くらいはお許し頂けるのではと入ってみました。
知人の知人、hiromiさんという方のブログ「わかくさ日記」で紹介されていたので存じておりました。何れ機会があれば・・・という程度にメモっていた記憶が呼び戻され、もしかしてと本堂の裏に回ると初代から3代目三保ヶ関の墓碑等が並び、端に北の湖の慰霊碑が現役時代の写真を組み込んで建立されています。三保ヶ関部屋が大坂相撲の系統を引く部屋であり、大阪場所ではこの寺に宿舎を置いていたと云います。現在も北の湖部屋を引きついだ「山響部屋」が宿舎にしているとのこと。
元々の相撲好きです、地味でしぶといタイプが好き。増して大坂相撲系とあっては、北の湖は好みの関取でした。若くして亡くなられたことが非常に残念であり本人も無念であったでしょう。お相撲さんという稼業「座敷」からお呼びがあっての仕事だけに、全くの下戸の方が繁盛はしないが長生きの条件かも知れませんね。