河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

明日香路行「花・古刹・名所そして美味いもの」

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 タイトルが思い浮かびません。今週は通院とかで凹んだりした週でもありましたが、後半それを挽回しようと温泉へ行きました、返す刀で明日香へ行ったと云うと写真でも出てくる「蘇我入鹿」の様ですが、首を切られては元もありません。眼に残る印象を言葉で並べると表題になったという所です。

 さて、明日香で車を置くのは甘樫丘東駐車場です。ここから、トレンクルを引き出して輪行開始です。川原寺へのショートカットを選択すると、人もまばら。甘樫丘には名はあるのに、東向かいの丘陵には名が在りません。ひょっとして、重要な文化財が埋蔵されていたりして、発見されると「東甘樫丘」とか、「飛鳥川丘陵」とか洒落た名が付くかも知れません。

 川原寺跡から道を渡ると橘寺です。門前の田と彼岸花が印象に残ります。南に突き当たりを東西方向に流れる水路に従って、東方向へ向かい玉藻橋を渡ると石舞台に。仲秋の名月関連の行事の準備でしょうか、テントが立ち並んでいます。石舞台は木の葉が落ちきっていないので、隙間から見ることが出来ません。立木で覆って見えなくして、木戸銭を取るとはせちがない事ですなと、馬子も嘆いているかかも。

 島庄地区の水路に沿った古道脇はお勧めの場所です。ど根性彼岸花も頑張ってました。観光客は余り寄りつきません、前後に有名な観光資源があるためでしょう。一つは「犬養万葉記念館」です。著名な万葉学者であります犬養孝先生は、私の万葉・和歌の先生「偐家持」氏の先生です、でもって私は犬養先生の孫弟子、と勝手に名告っております。先へ進みましょう。

 集落を過ぎ田圃の中心部にあるのが、飛鳥京跡(伝飛鳥板蓋宮跡)です。采女( うねめ)の 袖吹きかへす 明日香風 都を遠み いたづらに吹く <志貴皇子>の歌碑があります。更に北に進むと飛鳥寺です。ここは、裏門のみで蘇我入鹿首塚へお参りです。先の飛鳥京から飛んできたと言いますから、頸椎の筋肉は相当なものだったのでしょう。更に北へ下ると大官大寺跡です、この辺りから走ってきた方向を眺めると大凡明日香村が、飛鳥川沿いに出来た扇状地に沿って成り立っていることが望めます。飛鳥川を始め明日香周辺から流れ出る大和川水系は、古代国家の母なる川であります。

 以上で明日香村輪行は終わりですが、先の橿原市内の本薬師寺ホテイアオイも気になります。少し足を伸ばして見てきましたが、前回の蓮に代わって彼岸花とが競演していました。此も又絵になります。さて、ぼちぼちお腹も減ってきましたので道端の丼屋さんで昼食です。お腹が一杯になるともう走る気になりませんが、車まで戻らねば帰れません。車の自動運転に対しては反対派でしたが、斯様な時にスマートホンのボタン一つで車から来てくれるなら節操無く賛成派に転向します。

 写真:寅号は待機、さて花の名は、名も無き小道を出て川原寺跡へ、橘寺前にて、ど根性彼岸花、犬養万葉記念館前、飛鳥京跡の志貴皇子歌碑、入鹿首塚大官大寺付近、本薬師寺、迎えが欲しい坂道、美味しいそうなお土産

 飛鳥川
 いにしえの 都は明日香 川筋に 流れは続き 難波江へと <偐山頭火

 お願い:写真二枚目の野草の名をお教えください。