河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

「大砲より知恵で勝負」か筒井順慶の場合

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 大砲見物でしばらく時間が過ぎたが、まだまだたっぷりと日が高いので地図を広げる。と、云ってもnet社会ではスマホを開くという方が適切だ。画面を東にずらすと近鉄平端駅近くに「筒井順慶」の墓と在ります。洞ヶ峠で日和見をしたという戦国武将はこの近く「筒井」の出身と云われています。

 平端駅は最近追っかけをしている「天理軽便鉄道」の中間駅、ここから天理までの間が現在もルートとして残っている貴重な場所でもあります。では、本日後半は平端の筒井順慶のお墓と天理軽便鉄道の痕跡を探る道行きとしましょう。日和見主義とあまり聞こえがよくないが、負け戦をしないという結論からすると、先ほどまで見てきた大砲主義とは真逆の考え方。この狭い大和盆地の中にあって、斯様に両極端があるのも誠に面白いのではないでしょうか。彼のために付け足しておきますが、日和見と云う見方が目立つ筒井順慶ですが、その人生を拝見すると中々の歴戦の強者、その中で編み出された一つの策であったのかも知れません。

 それでは、葛城から大和盆地を東へと自転車で走ることとなります。この間には奈良街道や太子道と云った歴史上の道もあれば、私がこの日トレンクルで走った道は「日和見道」とでも言って良いような主義主張の無い道であります。その、日和見道を走っていますと「島の山古墳」という看板が。自然の地形を利用したというものでなく、飛鳥川と寺川の間の湿地に築造されたという形態のようだ。比売久波神社を脇に従え、出土品も重要文化財の車輪石、鍬形石など石製品が多いとか。石器は二上山のサヌカイト製なのでしょうか。

 大和盆地は大和川流域の低湿地にあり、そこに流れる河川は主なものだけでも、先ほどの飛鳥川、寺川や曽我川、葛城川、佐保川など多くありその殆どが今では天井川ですので、いくら日和見道といえどもアップダウンは困難です。その後、何度か堤を超えては辿り着いたのが近鉄平端駅。橿原線の駅で天理線の基点となります。駅北の踏切から見ると、天理線がカーブを描いてホームに入っているのが解ります。その延長に軽便鉄道の新法隆寺駅方向への線路敷きがあったのでしょうが、この時は痕跡を見付けることは出来ませんでした。

 筒井順慶に戻りましょう、駅北の踏切を東へ渡り数十メートルも行くと左に生け垣があってそれと直ぐに見付けることが出来ました。墓と云われる五輪石と覆屋は重要文化財となっているものの、先ほどの名も知られない島の山古墳に葬むられている主と戦国大名との差は何なのでしょう。所詮は豊臣家のサラリーマン支店長クラスと云ってしまえばそれまでですが。では、支店長のお墓参りを済ませて、本日の起点法輪寺へ急ぐこととしましょう。帰路はアップダウンを避けて西名阪高速道路側道を走ると、ショートカットにもなります。出来たら、高速上を走りたいのはやまやまですが「高速道路を自転車で逆走老人」という見出しが立っては、日和見道が痴呆道となってしまいます。

 写真:島の山古墳看板、古墳と脇の神社、平端駅の踏切、筒井順慶墓二題、終点近くの法起寺まで戻りました

 奈良盆地
 飛鳥亀 南西向けば 奈良盆地 尾東向けば 元の木阿弥 <偐亀石>