河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

もう一つの七夕祀り

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 明日は七夕、牽牛星織女星の年に一度の出会いを天の川に描いたロマンチックなお祭りです。この伝説は中国『文選』の中の漢の時代に編纂された「古詩十九首」が文献として初出とされている等と知ったかぶりは知識人に任せ。短冊に願いを書いて、笹の枝に結ぶと叶うという。幼稚園児など子供達が可愛い字で、幼い願いを星空に願う様子は格好の取材ネタです。今年はお天気予報では雨と出ていますが、少しでも曇の隙間から天の川が見ることが出来たら我々老人も含めて大喜びです。

 この七夕祭りと同じ日に行われる、もう一つのお祀りをご紹介しましょう。場所は奈良大和高田市奥田地区の捨篠池(すてしのいけ)周辺です。お覚えの方もあるかも知れませんが、このネタは昨年もご紹介をしています。行ってみようという方の為という訳でもありませんが、今年は事前のご紹介とします。大和高田の捨篠池では、この日は「役行者」の誕生日と云うことで、それにまつわる行事として池に生える蓮を採って、縁の金峯山寺へ納めるという一連の行事が行われることになっています。

 捨篠池に伝わる話しは表現として少々どうかと思う所もありますが、結果を導く過程とお考えいただくと良いかと思います。役行者を生んだ母トラメ(刀良売)が奥田の蓮池 で病気を療養している、夏のある朝トラメが池で蛙を見付け、篠萱(しのかや)を引き抜いて、蛙に投げると目にあたって片目になった。その後母は病で亡くなる。母の死に発心した役行者吉野山に入り修験道をおさめ蔵王権現と出会いそしてそれをあがめ、金峯山寺を建立して蛙を祭って追善供養をした。その、主人公の役行者の誕生日が大宝元年6月7日と云うことで、今日の暦では七夕と重なる。

 室町時代から連綿とおこなわれてきた吉野山金峯山寺の「蓮華会(れんげえ)・蛙跳び」の行事は役行者が産湯をつかったと伝えられる大和高田市奥田にある捨篠池の蓮の花を蔵王権現に供える法会です。同時に行われる蛙飛び行事は、大青蛙を乗せた太鼓台が蔵王堂へ練り込み、法要の後、蛙飛びの儀式が行われ、最後に導師の授戒によってめでたく人間の姿に戻ります。ここで、奥田池の蓮と蛙が結びつきます。七日の朝に捨篠池で採取された蓮は、先ずは捨篠池近くのトラメのお墓に捧げられ、諸行事の後金峯山寺目指して修験者達によって運ばれます。

 金峯山寺での滑稽な蛙跳びの映像は報道でご覧になった方も多いと思います。何故ここで蛙なのか・・・と不思議に思われた方も多いことでしょう、私もその一人でしたが捨篠池の伝承を知ることが出来て腑に落ちました。もっとも、蛙の目が潰れたと云う点に関しては、目を瞑っても大きなテーマから逸れる心配は無いでしょう。蛙跳びのお話しの筋も金峯山寺ではこの話とは違っているのも、次項と同じ解釈として戴いて良いでしょう。

 既に役行者の誕生については、御所市内茅原地区の吉祥草寺であり産湯を使ったのはその近く玉手地区のたらいの森碑がある場所と書いてきました。確かにそう考える方がおられる以上それも事実だと思います。人それぞれの心の中に様々な神様や仏様がおられるように、役行者も様々な姿形で私たちの前に立ちはだかっているのかも知れません。「・・葛城嶺より馳りて胆駒山に隠れつ。午後に至りて住吉の松のこずゑより、西に向かいて馳り去ぬ」という人物、赤子の時でも御所と大和高田市くらいは存分に往き来して産湯を使ったことでしょう。

 写真:捨篠池と蓮、トラメの墓、たらいの森の碑(御所市玉手地区)

 かえる
 たなばたに 蛙飛んでる 吉野山 <偐山頭火

 *トラメに関しては、生駒山中の千光寺で修行をつんだという説もあります。千光寺はトラメが修行をしたことから、女人禁制の吉野大峯に対し女性の修行も受け入れたため、「女人山上」と呼ばれ、女人の修行道場として栄えました。