河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

恩地川のダム「遊水池の機能を見る」

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

 先日の豪雨では岡山、広島そして愛媛県等で大惨事となりました。平成以来最大規模という比較をされてもあまりピンとこないですが、広範囲にまたがって被害が出ているのは半世紀程度の私の記憶でもないですね。国を治めることを「治山・治水」と云う方もおられるようですが、その通りだと思わせられました。

 本学のある河内も有史以来大和川や淀川の氾濫により幾度ともなく痛めつけられていたようです。和気清麻呂大和川の洪水対策に取り組んだとも伝えられています。中でも大和川の洪水対策の決め手が、江戸時代に河内の庄屋中甚兵衛等の努力による付け替えです。その結果堺へと新しい流路が作られ、以前と比べて氾濫が少なくなったと云われています。この事は本ブログでも何度か取り上げています。

 本日は午前中に河内の某所にある我が父方のお墓参りに行きました。先に母方を済ませておりますので、これでお盆前の年中行事はほぼ終了です。その足で花園中央公園へ立ち寄り休息していましたら、公園内の遊水池となっている広場がきたなく汚れている事に気付きました。よく見ると脇を流れる恩地川から越流水が公園に流れ込み(流されて)、まだ引いていない部分もあり湿気が多く汚れたように見えていました。この恩地川も中甚兵衛さん等を困らせた大和川水系の一部です。

 既にお気付きと思いますが、先の大雨が生駒山に降りその雨水が恩地川に流れ込み花園中央公園の遊水池に一時貯水されていたようです。この施設が無い頃は、下流大東市がよく洪水被害にあっていました。生駒山系に降る雨が全て恩地川に流れ込むわけではありませんが、この様な遊水池は数キロ離れた場所にもあり、最悪の場合隣接する高校の校庭も遊水池となる様に設計されています。更に上流でももう一カ所建設されています。

 中甚兵衛さんの時代では川の流路を変更して洪水被害を防ぎましたが、更に都市化が進んだ現代にあっては遊水池の設置、堤防の高さを上げる工事等も進められています。更に地下に大遊水トンネルまで作っています。また、材木や家が流れてきてもせき止められない工夫として、川水の計画高水位より高い橋も作られています。徒歩では少々厄介な橋、あれがそうです。

 写真:花園中央公園から恩地川上流方向を見る、越流水の表示、まだ引かない水二点(奥が川との水門)

 遊水池
 天水を 集めるダムが 街の掘り  〈偐山頭火〉