河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

吉野中荘温泉と万葉歌碑について

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 吉野川沿いの温泉は金剛乃湯(奈良県五條市新町2-1-33)、龍門山温泉(和歌山県紀の川市荒見645-1廃湯)そして花山温泉和歌山県和歌山市鳴神574)を拝湯した経験があるが、何れの湯も金気(赤色)と炭酸に特徴があるように思える。高野山の開発の資力になったのが丹(水銀)という説もあります。神功皇后は船に丹(赤色)を塗り朝鮮半島を攻めた、その水銀と高野山に関する歴史は紀の川吉野川)沿いの和歌山県伊都郡かつらぎ町上天野にある丹生都比売神社に伝わっている。そう云えば九度山に隠棲していた真田幸村も、赤の甲冑で活躍したと書くと少し調子に乗りすぎかな。要するに、吉野川・紀ノ川沿いの温泉は金気が特徴だと云うことを「こじつけ」たかっただけです。

 表題の「中荘温泉」も既に記載したように金気・含炭酸泉ですばらしいお湯でありました。吉野川堤外地に作られているため川の流れなどはよく見えないが、背景の山々は丁度良い借景です。近く改修されるそうですが、ランドスケープも含めて改修されんことを祈りましょう。

 玄関先に犬養先生の万葉歌碑があるのは、この地及び上流直ぐの辺りに宮滝遺跡があり、その関連の歌として建碑されたためであろうと思われます。同遺跡は奈良県吉野郡吉野町宮滝にある複合遺跡で、いくつかの異なった年代の遺構が存在し、吉野宮・吉野離宮の存在も推定されます。吉野宮との関係では、I期が天武・持統朝のもの、II期は聖武朝前後のもの、III期は昌泰元年(898年)の宇多上皇行幸に関連するといいいます。歌碑の歌がいつの時代に作られた歌という知識は残念ながら持ち合わせていないが、前記の何れかの時に歌われたもに違いない。

 吉野の離宮(とつみや)に幸(いでま)しし時の歌二首(の一首))
 「瀧上乃 三船山従 秋津邊 来鳴度者 誰喚兒鳥」万葉集巻九―1713 作者不詳
(たぎのうへの みふねのやまゆ あきづへにきなきわたるは たれよぶこどり)

 激流のほとりの三船の山から秋津の川辺に、鳴いて飛びわたりくるは、いったい誰を呼ぶ呼兒鳥なのだろうか・・・好きだ惚れたと云う歌や、勇ましい歌が目立つ万葉集ですが、斯様な心象風景を歌ったものを見ると万葉人も現代に活きる我々も、感情という点では大差ないと確信を持ちます。ただ違うのは大地に穴を掘って温泉を掘り当て「良い湯だな・・・」とは歌っていないと云うこと。ただし、自然湧出の牟婁の湯等は題材になっていることを申し添えます。

 写真:犬養歌碑二題、温泉館、堤外地への出入口

 吉野川
 古きから 朱い湯の道 川の下 <偐山頭火