河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

南朝天皇の行宮を訪ねてその1 「御本尊特別開帳の栄山寺」

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

 吉野川紀の川と名が変わる直前、吉野川は川底が岩礁となり曲がりくねり川幅も狭く、急峻な流れの場所が多くなる。それが栄山寺を過ぎた辺りから、元の表情を取り戻し五條の街へと流れ込む。幾ら豊かな水路であっても、あまりにも荒れる表情を見せると、舟運などには利用し難いだろう。五條辺りからは紀泉山脈から流れ込む水も加え、穏やかな流れとなる。

 吉野川から紀の川への変化を多少のこじつけではありますが、細かく書いたのは先に挙げた「栄山寺」散策を書くためであります。元々この寺は遙か昔に友人の偐家持氏に教えられた事が、頭の片隅に残っている。そこへ、直近の若草読書会で取り上げた課題図書の「南北朝」で南朝長慶天皇が河内天野行宮から追い詰められて(13738月)、ここ栄山寺に行宮(あんぐう)を求めることとなった。 栄山寺は奈良時代藤原武智麻呂(むちまろ)の創建(719年)の寺。現在は真言宗豊山派に属している。薬師如来像(重文)をまつる本堂、子の仲麻呂建立と伝わる八角堂(国宝)、と梵鐘(国宝)そして重文の石塔婆等が吉野川と寺の背後の山の間を水の流れに沿うように配置されています。

 訪れた日の前日から御本尊薬師如来秋の御開帳が始まったばかり、多少の混雑は覚悟で出掛けたが予想に反して誰一人おらず、寺男と間違えた住職が一人落ち葉を集めているだけ。牛車を所定の位置に停めるとパンフレットを車まで持って来てくれて、その御開帳の案内をしてくださる。当方既に承知しています・・・で、御開帳に伴う特別拝観料はと問うと不要らしい。商売っ気が無いと云えば現金な河内風、当地は信仰心に篤いのだろう。導入部で紹介した地形だけに、大型バスが何台も横付けできるならガイドが団体客を引き連れてやってくることになるのだろう。これは私としては「悪し」悪しです。

 吉野川の流れに逆らうように、山内の細い通路沿いに散策する。**式伽藍配置等と言うが、当寺は奥行きが無い横一線の配置です。陽の当たる先端が少し赤みがかった紅葉を斜光に眺める八角円堂は法隆寺のそれに近い建物です。しかしより自然の中に在るようで神神しく思えます。菅原道真撰、小野道風書の国宝梵鐘は近代的な建物故にとかくケチが付けられているが、そのような小言どこ吹く風と堂々としている。本堂内の十二神将は室町期とか、奈良、平安そして室町と多くの信仰を集めた栄山寺でありますが、今(今日)は訪れる者も斯様に私一人。おかげで充分に堪能出来た。今日は更に五條から分け入り賀名生の里そして桜温泉までの牛車&銀輪行、幸先の良いスタートを切れました。

 写真:本堂、八角円堂、梵鐘、栄山寺説明、直線的な山内通路、石塔婆、山内配置図

 木漏れ日
 八角の 円堂身舎は 四角なり <偐偶数好>