河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

紅葉の湖東から湖北そして甲賀 名著と巡る十一面観音像の旅 その2

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

 旅に出る時は、両日(4・5日)とも雨予報でした。元々はその前日から出る予定でしたが、3日も雨予報と云うことで一日ずらせたのだがまたも雨予報とがっかりしていました。しかし、初日は快晴と小雨程度、幸先が良いと思っていたら翌日も朝から快晴で朝露に濡れた宿の紅葉も美しい。己高庵の十部屋ほど在る部屋は我々以外はすべて空き室。斯様な経験は皆さんは余りないだろうが、愚僧は木津温泉のゑびすや、三朝の木屋旅館で何度かある。小心者の私は「しめた」とは思えず、申し訳ないと呟いてしまいます。云ってくだされば相客(?)のある日に変えましたのに・・・とも付け加えて。

 しかし、全館貸切は誠に気持ちが良い。風呂は云うまでも無く廊下も庭も何方もいない。庭に出て見上げると石田三成が潜んだという山あいから流れる大谷川沿いでは、薬草園が次の準備をしている。その奥に鶏足寺があるのだろうが木々で見ることは出来ない。暫くしたら宿のレストランから朝食の準備が出来たと声がかかる、軽く腹ごしらえをして出掛けるとしましょう。

 世代閣・己高閣を見過ごして高時川に出て少し下ると、石道寺(しゃくどうじ)への道が瀬谷川沿いに左から下りている。再び山を登る様に川沿いに向きを変えて壱キロも進むと駐車所へ出ます。車を止めて瀬谷川を渡り石段を登ると石道寺。寺と云っても住職も誰もおられない、村民が交代で堂守をされているそうだ。先に見過ごした世代閣・己高閣でも昨年訪れた時に番人が仰っていたが、宗派は全く違うのだが、仏様を大切にする想いで番をしている・・・と。当たり前なのか知りませんが、信仰は宗派を越えるものと云うより出は同じで形が違うだけなんでしょう。(参考:白洲正子著「十一面観音巡礼」湖北の旅)

 石道寺の十一面観音像は幼顔です。村の娘を生き写したというお顔はあどけない。堂守に云わせると「写真写りが悪い」というが、中々美しい顔をなさっている。右足の親指が跳ね上がっているのが若々しく特徴とか、やけに色気のある腰のくねりはあまり感じられない。近くの渡岸寺の同仏に比べて、石道寺の方が好感が持てる、好意を持たれる方はいい迷惑今で云うならストーカーだろうか。堂守の薦めで鶏足寺へ散歩に行くという愚妻を見送り私は暫し風景写真撮影です。

 次の目的地が今回の旅のメインイベント、その櫟野寺(らくやじ)へは県境を越えなければなりいません。と、云っても大げさなことでは無く櫟野寺が創建された頃は、近江や伊賀・甲賀などは一つの圏域だったようだ。地図を逆さにして琵琶湖から南を眺めてみると、この辺りが一つの纏まりに見えます。比叡山から眺めていた先人の知恵かも知れません。その、叡山と深く関わりがあるのがこの櫟野寺です。

 寺伝によりますと、比叡山の開祖伝教大師が根本中堂の用材を求めてこの地を訪れたのがそもそもの縁とか。この解説は白洲正子著「かくれ里」の油日から櫟野へに詳しい。伝教大師が立木から彫ったという十一面観音像は座像です。お座りなって3.1メートルという立派な体格。今年は33年に一度の御開帳と云うことで新聞にも報道されたせいか、平日にも拘わらず檀家の方か「駐車場の人手が足りない」とぼやかれている程の盛況でした。同寺は坂上田村麻呂とも縁があり、その関係で境内に土俵があり10月18日の秋まつりに奉納相撲が行われるという。

 立派な観音様の右手中指と紐で結ばれて、色々と願いを伝えたが回線状態は如何であったか楽しみです。この後、白洲さんとは逆になりますが、油日神社へも参拝。私は何度か訪れていますが愚妻は初めてとかで、油の神様だけに食用油の缶が奉納してあると妙な感想が。私は出光興産とか日本石油は知っていましたが、さすが枯れても主婦ですね目の付け所が違います。

 写真:朝露の己高庵庭と食堂、石道寺三題、櫟野寺三題、油日神社二題

 観音様
 色香添え 強力有りで 十一面 <蹌踉山頭火