河内温泉大学

姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します

大和川が閉塞した

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 今から88年前、奈良と大阪を流れる大和川が県境の亀の瀬と云われる場所で閉塞して、奈良側の王寺が大浸水、国鉄関西線も不通になるという自然災害が発生しました。いわゆる亀の瀬地滑りと云われるもので、太古から発生していたようですが、とりわけ昭和6年の被害は甚大でした。

 河道が隆起して川の水がダムのようにせき止められ、関西線は不通、現在国道25号と呼ぶ奈良街道も多分通行不能になったと思われます。当時の惨状を王寺町のホームページでもつぶさに伝えています。面白いと思うのはその被害状況を見物に訪れた人出が2万人、現場では記念絵葉書(写真三枚目)も販売されたという、今では考えられない光景です。

 地滑りのメカニズムは至って簡単で、川の南脇にある明神山という火山が噴火して対岸の留所山に灰が堆積。堆積した地層と元の岩盤の間に雨水がしみ込み滑り面が出来て、直ぐ脇の大和川の川底を押し上げる・・・と云うもの。明神山ではなく、もっと東の紀伊半島北部の火山という説もあります。

 奈良明日香にある「亀石」が真西を向くと奈良盆地は水の底に沈むと云う伝説があるそうです。西は大和川の亀の背、水没は河道隆起と連想すると面白く想像が膨らみます。

 38年ほど前に、地滑り対策工事現場を取材したことがあります。当時の建設省担当技官に云わせると「斯様な場所は全国に幾らでもあります、ここで対策工事を行っているのは1級河川、国鉄本線そして主要幹線道路の三本も重大なインフラに影響を受けるため」と仰っていました。その数年後に「対策工事50年周年」という催しがあり、本省の担当者や学術研修者が集まって記念講演等の催しがありました。その時に配付された記念品が写真の「磚」様の陶板です。これは、地下の滑り面の粘土を採取して焼かれたものです。

 何かに紛れ込んで我が家にあるのですが、近く地滑り現場近くの柏原市立歴史資料館へ行くついでがありますので寄贈してこようと思っています。専門家によって、歴史的意義でも見いだしていただけたら保管していた甲斐があったというものです。

 写真:記念品、明日香村の亀石、絵葉書

 亀の瀬
 神武でも 難渋したと 亀の背は <偐山頭火

 追記:1月23日に本品「磚」を予定通り柏原歴史資料館へ寄託しました。館では今後国土交通省とも協議しつつ保管や展示について検討するとのことでした。ヤレヤレです。