11日が親父の月命日、一日早いのですが本日墓参りに。
真夏の槇は新芽が伸びていたみ易いと、言いいながら花屋の親父が槇を二本新聞紙に巻いてくれます。お墓に着くとやはり先月供えた槇の先が変化している。雑草などは全く生えさせていないが、近くの墓から飛び散った葛などを掃除して槇も供える。
来月のお盆まで「供物」の酒は辛抱して貰いましょう。線香は燃え尽きさせ燃え滓の処理まで待つ時間が無いので、通常は供えません。槇は頻繁に換えているのに、線香を上げない…変なお参りだと思っている人もいるでしょう。それは、それで良い。
帰り道、檀那寺の掲示板を見ると「泥中の蓮」に関してお説教を掲示している。
真夏の槇は新芽が伸びていたみ易いと、言いいながら花屋の親父が槇を二本新聞紙に巻いてくれます。お墓に着くとやはり先月供えた槇の先が変化している。雑草などは全く生えさせていないが、近くの墓から飛び散った葛などを掃除して槇も供える。
来月のお盆まで「供物」の酒は辛抱して貰いましょう。線香は燃え尽きさせ燃え滓の処理まで待つ時間が無いので、通常は供えません。槇は頻繁に換えているのに、線香を上げない…変なお参りだと思っている人もいるでしょう。それは、それで良い。
帰り道、檀那寺の掲示板を見ると「泥中の蓮」に関してお説教を掲示している。
印度の蓮は睡蓮だとも云う説もあります。なら、先日の勧修寺の氷室池には、中庸をとって奥に蓮、手前に睡蓮(写真)が咲かせてあったのでしょうか。
参考:入出二門偈について